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条件:徳島県 土砂災害
明治32年(1899)8月28日、暴風が吹き荒れ、大雨は車軸を流すかのように濁流となって流れ、伊予川などの増水は平時には想像できないほどであった。この時、別子銅山の一部崩壊により、銅山関係者の屍が流れ来て、磧に打ち上げられたり、埋もれるなど悲惨な状況であった。... 続きを読む
明治32年(1899)8月28日午後、台風が九州南西部をかすめて愛媛県から鳥取に抜けた。愛媛県では別子銅山の崩壊によって512人の死者を出したほか、河川氾濫で150人ほど、香川で340人、高知で36人の死者を出した。徳島県では剣山周辺の雨量が200ミリを越した... 続きを読む
明治32年(1899)7月8日、9日、暴風雨により、吉野川大洪水。県西地方では「銅山川流れ」あり、県下農作物は3割2分の減収となった。阿波郡では日開谷川で決壊数箇所、麻植郡牛ノ島では堤防が決壊し江川が吉野川本流となり、浦庄、高原、高川原等は海のようになったとい... 続きを読む
明治30年(1897)9月29日、台風により、西祖谷山村閑定でがけ崩れが起こり、被害は死者5人、家屋全壊1戸に及んだ。(吉野川上・中流域の主な土砂災害による) 続きを読む
明治30年(1897)9月29日午後9時~10時頃、大水により家屋裏の山畑が長さ2間、幅3間、厚さ1間程崩壊し、土砂が屋根を打ち抜いた。祖谷川で取った魚を囲炉裏で焼いて団らんを楽しんでいた家族5人が犠牲になった。 続きを読む
明治25年(1892)7月25日正午頃、木頭村大字大戸村(現上那賀町大戸)の標高約600mの高磯山が大崩壊し、崩積物は対岸の春森へ河床から約110mまで押し上げて那賀川を堰き止めた。天然ダムは最低所が河床から71m(標高251m)の高さで、上流に湛水量推定7,... 続きを読む
明治25年(1892)7月25日午前11時から正午頃、台風による暴風雨で、上那賀町大戸の高磯山(611m)が崩壊した。崩壊した土砂は那賀川を越えて対岸の春森まであふれ、荒谷・春森の人家十数戸、60余名が埋没した。土砂は那賀川の流れをせき止め、天然ダムを形成した... 続きを読む