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902件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 土砂災害

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明治43年の洪水

明治43年(1910)9月20日より22日夕方まで大雨、大洪水。山城谷村では数箇所崩壊し、川口では一家5人が埋没して死亡し、2戸が流失した。また、相川名でも1戸宅地が崩壊し、家屋が流失した。 続きを読む

明治43年の洪水

明治43年(1910)9月7日、大洪水により、三名村の各谷川の出水が甚だしく、役場は水浸しとなり、貴重な書類も流出した。また、地すべりがあり、田畑や家屋が押し潰された。 続きを読む

明治40年の洪水

明治40年(1907)9月15日、海部川洪水、浸水の家屋28戸、田畑700町歩、平井山腹崩壊。 続きを読む

明治32年の鈴川山の崩壊

明治32年(1899)9月8日、鈴川山の一部が大崩壊し、下手の樫原部落に土砂が流れ落ち、家8棟が埋没し、死者7人、馬1頭を失い、下流の耕地は土砂で壊滅した。 なお、昭和26年に樫原奥地の山地に一大亀裂が発見され、過去の経験から考えて崩壊すれば大惨事を引き起こす... 続きを読む

明治32年の洪水

明治32年(1899)9月8日、洪水により、土成村樫原谷が崩壊し、山津波を起こして、人家が流失し、死者数人が高畑に流れ着くという悲惨事があった。この時、高畑の住民は炊き出し米の配給によって飢えをしのいだという。また、千田須賀の東の堤防が切れた。 続きを読む

明治32年9月の台風

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明治32年(1899)9月8日、台風により、勝浦川では上流の高鉾村正木で山が崩壊し、下流では7月の決壊で仮止め堤防となっていた江田村の堤防から上流部の前原村にかけて160mにわたり決壊した。菖蒲田川が本流と化し、神代橋は崩壊した。小松島町は約1ヶ月間濁水の中に... 続きを読む

明治32年の風雨

明治32年(1899)8月28日、暴風が吹き荒れ、大雨は車軸を流すかのように濁流となって流れ、伊予川などの増水は平時には想像できないほどであった。この時、別子銅山の一部崩壊により、銅山関係者の屍が流れ来て、磧に打ち上げられたり、埋もれるなど悲惨な状況であった。... 続きを読む

明治32年8月の台風

明治32年(1899)8月28日午後、台風が九州南西部をかすめて愛媛県から鳥取に抜けた。愛媛県では別子銅山の崩壊によって512人の死者を出したほか、河川氾濫で150人ほど、香川で340人、高知で36人の死者を出した。徳島県では剣山周辺の雨量が200ミリを越した... 続きを読む

明治32年8月の台風

明治32年(1899)8月28日午後、台風が九州南西部をかすめて愛媛県から鳥取に抜けた。愛媛県では別子銅山の崩壊によって512人の死者を出したほか、河川氾濫で150人ほど、香川で340人、高知で36人の死者を出した。徳島県では剣山周辺の雨量が200ミリを越した... 続きを読む

明治32年の台風

明治32年(1899)8月28日、大暴風雨により、吉野川、伊予川など河川の水位の上昇は甚だしかった。この時、別子銅山の従業員住宅地の一部崩壊により、銅山関係者の屍が伊予川や吉野川本流に流れるな悲惨な状況であった。また、鉱毒が一時流下したため、吉野川では鉱毒は脇... 続きを読む

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