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条件: その他(長雨)

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享保17年の長雨

享保17年(1732)5月より9月まで霖雨、淫雨といわれた長雨が続き、うんかが大発生したことにより、作物はまったく実らなかった。この年は江戸時代を通じて双海地域が最も多大な被害を受けた年となった。住民は山野の野草やその根まで食べ、すべての青物が食べ尽くされたと... 続きを読む

享保17年の長雨

享保17年(1732)5月から7月まで降り続いた雨により、冷夏となり、作物は根腐をおこしはじめ、ウンカの異常発生によって、稲は大半が枯死し、鯨油を散布したり、火を焚いて集まった虫を殺すなどの方法もほとんど効果がなく、飢人は藩庁から支給された粥で露命をつなごうと... 続きを読む

享保17年の長雨

享保17年(1732)3月~6月、霖雨による不作のため、大飢饉。(「松山叢談」による)高田寺谷の光徳院の過去帳によると、享保16年の死者23人が享保17年に83人、享保18年に73人に増加した。 続きを読む

享保17年の長雨

享保17年(1732)春以来、多雨。閏5月3回洪水、夏うんか発生、稲の収穫皆無。(「伊予風水害小史」による)この年後半から翌18年にかけて食糧不足が深刻とあんり、米価も蔵相場1石につき銀80匁が、18年春の地相場は銀300匁にもはねあがった。飢人、餓死者も多く... 続きを読む

享保17年の長雨

享保17年(1732)、長雨によって麦が不作になり、稲はウンカのためにほとんど壊滅状態となった。松山藩では、5,705人の餓死者を出し、藩主が幕府から差控を命じられている。伊予郡筒井村(現松前町)の百姓作兵衛が餓死した時、麦の種子を枕にしていたという逸話がある... 続きを読む

享保17年の長雨

享保17年(1732)夏の初めより長雨が降り続き、加えて6月末からウンカの大発生により、収穫皆無という惨状となった。 続きを読む

享保17年の長雨

享保17年(1732)、長雨、うんか発生、飢人多数。 続きを読む

享保17年の長雨

享保17年(1732)、霖雨。 続きを読む

享保17年の長雨・低温

享保17年(1732)、長雨と冷夏による飢餓。 続きを読む

享保17年の多雨

享保17年(1732)、多雨、うんか大発生、収穫皆無の所多し。松山領では、筒井村の作兵衛が麦種を保存することに腐心して餓死し、義農と称えられるようになった。 続きを読む

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