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207件のアーカイブスが見つかりました。

条件: その他(落雷)

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天明4年1月の落雷

天明4年(1784)甲辰正月元日夜子刻、雷火により、御本城焼失、卯刻鎮火した。(「松山叢談(増田家記)」による) 続きを読む

天明4年の雷火

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天明4年(1784)1月1日、雷火で本丸天守閣焼失。(増田家記」「垂憲録拾遺」「予松御代鑑」「三田村秘事録」による) 続きを読む

天明4年の落雷

天明4年(1784)1月1日、落雷。(愛媛県災害年表) 続きを読む

天明4年の落雷

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天明4年(1784)1月1日の真夜中、松山城天守閣に雷が落ちて、天守閣の主な建物が焼けた。 続きを読む

天保14年の落雷

天保14年(1843)、郷の谷に落雷、出火があり、馬即死。(「五百木村城廻村永代記録」、「六日市永久録」、「高橋文書」等による) 続きを読む

弘化元年の落雷・降雹

弘化元年(1844)9月9日、松山で大雷、大雨雷所々に落ち、苞降る山桃の如し。(「松山叢談(某家記」による) 続きを読む

嘉永6年の落雷

嘉永6年(1853)5月23日、田野、芝生の7箇所に落雷があり、手島石の鳥居が砕けた。 続きを読む

嘉永7年の風雨

嘉永7年(1854)11月25日、風雨。真覚寺日記には「浪高く四ツ(22時)頃雷鳴、八ツ(2時)前雷電し風雨共に止む。強の波橋田辺は人家の有りし処まで溢れ来る」と記されている。利岡清左エ門記録には「暮問頃より沖より風強く吹き出し夜五ツ(20時)より大時化となる... 続きを読む

明治3年10月の台風

明治3年(1870)10月1日、暴風雨により、被害多し。吉田藩内の落雷157箇所、溺死8人。(「東宇和郡沿革史」による) 続きを読む

明治3年の台風

明治3年(1870)10月1日、暴風雨により被害多し、吉田藩内の落雷157箇所、溺死8人。(「愛媛県史概説」等による) 続きを読む

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