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744件のアーカイブスが見つかりました。

条件:高知県 昭和60年代まで

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昭和47年の繁藤災害

昭和47年(1972)7月5日、土佐山田町繁藤で集中豪雨のため崩壊惨事あり。 続きを読む

昭和47年の洪水

昭和47年(1972)7月5日、洪水により、物部川にかかる香我美橋(土佐山田町神母木)の橋脚が洗われ、中央部が陥没して交通が途絶した。写真1枚。 続きを読む

昭和47年の繁藤災害

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昭和47年(1972)7月5日午前5時過ぎ、夜来の大豪雨のため追廻山が崩壊し、消防団員が生き埋めとなった。消防署員、町職員、地元住民が救出作業に当たったが、10時55分に二度目の地すべりが発生して、犠牲者60人という大惨事が勃発した。繁藤には追悼碑が建っている... 続きを読む

昭和47年の繁藤災害

昭和47年(1972)7月5日、繁藤大災害。地元民60人死亡。(高新年表による) 続きを読む

昭和47年7月の集中豪雨

昭和47年(1972)7月5日、集中豪雨により香宗地区が浸水の大被害を受けた。この後同年9月にも、香宗地区は集中豪雨に見舞われ、野市町側と香我美町側は香宗川の水越しをめぐって紛争を行うことになった。紛争の根本には、永年住民が待望する香宗川改修工事が進まないこと... 続きを読む

昭和47年の繁藤災害

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昭和47年(1972)7月4日から5日にかけて暖かく湿った空気が舌状に大量に流れ込むことで大雨をもたらし、幅170m、長さ150m、高さ80mにわたって大崩壊を起こし、消防団員や国鉄の列車を巻き込んで、死者・行方不明者60人を出す大惨事となった。 続きを読む

昭和47年の繁藤豪雨

昭和47年(1972)7月4日夕刻から、高知県は局地的な豪雨に見舞われた。土佐山田町繁藤では山崩れにより死者58人、行方不明2人の災害が起きた。須崎地方でも5日7時23分に大雨・洪水警報が発令され、15時40分に解除された。須崎の被害は国道56号栄町三叉路付近... 続きを読む

昭和47年の洪水

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昭和47年(1972)7月4日、梅雨前線による洪水のため、山田堰が一部崩壊、床下浸水144戸、被災農地150ha、土砂崩れ発生、死者61人。(物部川の主な洪水の歴史による) 続きを読む

昭和47年7月の集中豪雨

昭和47年(1972)7月4日~5日、梅雨前線に伴い、時間最大雨量53ミリの集中豪雨を記録した。香宗川では、中ノ村、土居で床上浸水、水深1~1.5mとなった。また、烏川では、東佐古・大谷地区、大国町・東町・中町一部・切石地区で浸水し、大国町の水深は1mとなった... 続きを読む

昭和47年7月の大雨

昭和47年(1972)7月4日、梅雨前線による大雨のため、山田堰の一部が崩壊し、香我美町中央付近が陥没した。被害は死者1人、行方不明3人、家屋の床下浸水144戸、被災農地150ha、国鉄1箇所、国道5箇所に及び、被害総額は2,225万円であった。 続きを読む

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