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条件:高知県 高知市

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享保12年の大火

享保12年(1727)2月1日~2日、大火で3,000戸が焼失した。 続きを読む

享保12年の火災

享保12年(1727)2月1日~2日、火災のため、高知城城下で1,300余戸焼失。 続きを読む

享保12年の火災

享保12年(1727)2月1日午の下刻(午後1時)、越前町から出火し、西南の烈風にあおられ、火は数條に分かれて東方に延び、高知城では三の丸、二の丸、本丸など延焼した。焼失戸数は侍屋敷205戸、町方1,163戸、郷分397戸であった。また、翌2日未の下刻(午後3... 続きを読む

享保12年の火災

享保12年(1727)2月1日、越前町から出火して城内に延焼し、翌日また越前町から出火して、両度の大火で焼失家屋は3,000戸を超えた。 続きを読む

享保12年の大火

享保12年(1727)2月1日午の下刻(午後1時)、小高坂越前町から出火し、また翌日にも再び同町から出火し、両度の火災による焼失家屋は3,500戸に及び、城下町は焼け野原と化した。この火事で高知城も、角矢倉、南ノ角矢倉を残して焼失した。藩は2日の晩から15日に... 続きを読む

享保6年の火災

享保6年(1721)12月29日、城下通町火事。(「高知県歴史年表」による)享保雑記には「470軒」と記されている。 続きを読む

正徳5年の火災

正徳5年(1715)12月3日、火災。南路志には「3日、御小人町大火三百五六十軒焼ける。火元南奉公人町二丁目。通町3、東川筋、水通2、東川端焼ける。8日高岡、一宮も残らず焼ける。夜中より百余焼く。」と記されている。 続きを読む

正徳5年の火災

正徳5年(1715)1月4日、南奉公人町から出火し、家屋500余軒が焼失した。 続きを読む

宝永5年の火災

宝永5年(1708)11月28日子の刻、浦戸町より出火五十数軒焼く。(「弘列筆記」による) 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)、南海大地震により、高知城下の地盤の沈下量は推定2.5mに及んだ。 続きを読む

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