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66件のアーカイブスが見つかりました。

条件:高知県 香美市(土佐山田町)

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明治19年の台風

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明治19年(1886)には、8月20日~21日、9月10日、17日、24日と4回の台風が来襲し、物部川の出水がひどく、山田堰の被害も大きかったというが、災害復旧工事の記録は残されていない。 続きを読む

明治9年の干ばつ

明治9年(1876)の旱害は、明治6年の2倍3倍にも上った。新改川のコロンボ堰からの分水をめぐり、上流の須江部地区と下流の植田地区の農民が対立した。このため、両地区は県庁に対して配水の措置を誓願した。県は、上流の大釜堰から下流の掘ノ井堰に24時間交代で配水する... 続きを読む

明治9年の干ばつ

明治9年(1876)、日照りが続き、大変な水不足に襲われた。この時、新改川の上下流で水争いが起こった。下流の植田・久次(ひさつぎ)の人々が新改川のコロンボ堰を壊し、コロンボ堰から引水している須江の人たちが修理をするなど、上流と下流の水争いが続けられ、怪我人が出... 続きを読む

明治6年の干ばつ

明治6年(1873)、干天続きで、植田地区の水田が枯死寸前の状態になったため、新改川下流の植田地区の農民は上流の須江部地区の農民に対して、コロンボ堰の分水を迫った。しかし、拒否されたため、両者が数回にわたり、衝突した。御免、山田両警察署は警官十数名を派遣し、鎮... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日、地震(M8.4)が発生した。記録(土佐古今の地震、香北町史、高知県天災年表)によると、死者372名、負傷者180名、焼失家屋2,500軒、流失家屋3,200軒、壊家3,000軒、半壊家屋9,000余軒に及んだ。 続きを読む

文化12年の台風

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文化12年(1815)7月6日の晩から9日にかけて大暴風雨となった。物部川上流では濁流が岩をも砕き、矢のように下流に押した。このため、山田堰はもちろん、川尻に至るまで堰は無惨に破壊され、村々は大海となり、家を破り、人を損なうことになった。この大暴風雨は「亥の大... 続きを読む

文化12年の洪水

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文化12年(1815)7月、物部川の洪水により、堰留神社の社殿が流失し、同年10年に再興されたという記録が残されている。 続きを読む

文化12年の洪水

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文化12年(1815)7月、物部川の洪水により、堰留神社の社殿が流失し、同年10年に再興されたという記録が残されている。 続きを読む

享和3年の洪水

享和3年(1803)、洪水のため、諸記録流出。(「山田文化小史」による) 続きを読む

天明8年7月17日の大雨

天明8年(1788)7月17日、大雨、物部川洪水。(「山田文化小史」による) 続きを読む

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