52件のアーカイブスが見つかりました。
条件:高知県 香南市(野市町)
明治27年(1894)6月24日~7月21日及び7月25日~9月1日の間、降雨がなく、干ばつ。農民は神社に雨乞い祈願をしたり、谷川の水をくんで冠水したが、全く効果はなく、稲は刈れ、家潰れ者が続出した。これを契機に、東山谷に新池が建設されることになり、明治30年... 続きを読む
明治25年(1892)7月23日、高知市付近に上陸した台風により、物部川流域は大きな被害を受けた。23日から26日まで4日間続いた雨で、物部川は大増水し、特に左岸の深渕方面の被害が大きく、深渕神社が流されそうになったため、氏子総動員で現在地に移転したと言われて... 続きを読む
明治25年(1892)7月23日、高知市付近に上陸した台風により、物部川流域は大きな被害を受けた。23日から26日まで4日間続いた雨で、物部川は大増水し、特に左岸の深渕方面の被害が大きく、深渕神社が流されそうになったため、氏子総動員で現在地に移転したと言われて... 続きを読む
明治25年(1892)7月23日~25日の暴風雨により、物部川橋付近の堤外地が押し流され、東岸では十善寺の深渕神社地が流出した。また、西岸三島村の堤防が約3町決壊し、濁流は稲生村(現在の南国市)に達したという。さらに、下井溝が102間にわたって崩壊流失した。 続きを読む
明治19年(1886)9月10日の洪水により、物部川の堤防が西岸の竹が端で300間、東岸の仁尾島で150間決壊した。濁流は、西岸では立田、田村、物部、下島、久枝の各村を通り前浜村に至り、東岸では深渕村の田地を押し流した。この堤防決壊による修繕に関して、直接被害... 続きを読む
明治19年(1886)8月21日、9月10日、17日、24日と連続的な暴風雨により、物部川の西岸竹ヶ端堤防約100間、東岸仁尾島堤防約150間が決壊し、深渕村の田地が押し流された。これを契機として、物部川事件が発生した。 続きを読む
嘉永7年(1854)11月5日、大地震の後、津波が襲来した。上岡八幡宮の参道入口にある津浪の碑には「嘉永七年寅十一月五日大地震地所よりしつみ浦々人家流失人いたみ夥敷上岡山西川原迄波来る事を記」と記されている。 続きを読む