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47件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 阿南市(那賀川町)

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明治15年の洪水

明治15年(1882)8月6日、平島村で洪水。 続きを読む

明治15年の洪水

明治15年(1872)8月6日、出水により、特に中島方面の被害は甚大であった。湊屋前の堤防が決壊し、家屋が倒壊して死者が出た。 続きを読む

明治15年の洪水

明治15年(1882)、現在の那賀川橋北岸下流で、湊屋切れと破堤が起こった。 続きを読む

明治11年の高潮

明治11年(1878)9月8日から27日まで時々高波、高潮が起こり、上福井の出島近辺などでは耕地が潮入となって、地味を害して農作物に被害が出た。 続きを読む

明治11年の洪水

明治11年(1878)9月の洪水により、西原の通称天狗鼻以西、古庄村境までの120間余の堤防が決壊し、耕地は一面荒地となった。特に大京原の人家は数多く流失し、惨状を呈した。 続きを読む

慶応2年の寅の水

慶応2年(1866)8月1日から激しい雨となり、2日に洪水を引き起こした。那賀川筋では、大京原の堤防60間余が決壊し、流家があったが、人畜に死傷はなかった。原の方面にも氾濫して、田に多少の被害が出たが、水は高い所では庭を走り、低い所でも座上わずかで止まった。材... 続きを読む

文久元年の洪水

文久元年(1861)、酉の水。北方では阿房水と言われて、大きな出水であったが、那賀川筋ではそれほどでもなかったようである。平島村では工地の車ノ本や役所原などに水入地があり、鍬下(税の免除)を受けたくらいであった。 続きを読む

安政元年の南海地震

嘉永7年(1854)11月5日、南海地震が発生し、津波が起こった。このため、那賀川河口の中島港は大破し、辰巳新田では60cmの地割れができたところもあり、黒津地の南新田が一面海になったと言われている。この時、今津の江野島大手海岸の松原が防潮堤の効果を発揮したと... 続きを読む

安政元年の地震

嘉永7年(1854)霜月4日を始めとして、大地震が起こった。江野島の古老(当時7歳)が津波に備えて中庄の観音山に避難したことなどの体験談が記されている。八幡、黒地、色ヶ島、今津浦など本村内の村浦は大抵中庄の観音山に避難したというのは古老の話で一致している。 続きを読む

安政元年の地震

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安政元年(1854)11月4日午後4時から地震が始まり、翌5日は最も激烈で、人々は家にいたたまれず、籔に逃げるもの、庭前に小屋をかけてわらを敷いて露宿するものもあった。また、海辺の中島上福井や工地では4日夕の大地震に引き続いて、津波が5、6度来た。翌5日午後4... 続きを読む

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