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条件:徳島県 阿南市(那賀川町)
明治11年(1878)9月の洪水により、西原の通称天狗鼻以西、古庄村境までの120間余の堤防が決壊し、耕地は一面荒地となった。特に大京原の人家は数多く流失し、惨状を呈した。 続きを読む
慶応2年(1866)8月1日から激しい雨となり、2日に洪水を引き起こした。那賀川筋では、大京原の堤防60間余が決壊し、流家があったが、人畜に死傷はなかった。原の方面にも氾濫して、田に多少の被害が出たが、水は高い所では庭を走り、低い所でも座上わずかで止まった。材... 続きを読む
文久元年(1861)、酉の水。北方では阿房水と言われて、大きな出水であったが、那賀川筋ではそれほどでもなかったようである。平島村では工地の車ノ本や役所原などに水入地があり、鍬下(税の免除)を受けたくらいであった。 続きを読む
嘉永7年(1854)11月5日、南海地震が発生し、津波が起こった。このため、那賀川河口の中島港は大破し、辰巳新田では60cmの地割れができたところもあり、黒津地の南新田が一面海になったと言われている。この時、今津の江野島大手海岸の松原が防潮堤の効果を発揮したと... 続きを読む
嘉永7年(1854)霜月4日を始めとして、大地震が起こった。江野島の古老(当時7歳)が津波に備えて中庄の観音山に避難したことなどの体験談が記されている。八幡、黒地、色ヶ島、今津浦など本村内の村浦は大抵中庄の観音山に避難したというのは古老の話で一致している。 続きを読む