66件のアーカイブスが見つかりました。
条件:徳島県 那賀町(鷲敷町)
昭和25年(1950)9月3日のジェーン台風による被害等の写真10枚。仁宇王子前の水田流失、中山国近谷の田畑崩壊、大水に浸る和食町、和食東部町の水害状況、救援物資の分配等。 続きを読む
昭和24年(1949)6月20日、デラ台風が九州地方に上陸した。鷲敷町では大雨が続き、那賀川が約7m増水し、田畑の冠水37町歩、道路欠潰9箇所、橋の流失1、非住家流出3棟で、災害救助法が発動された。災害復旧費として326千円が予算化された。 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日午前4時過ぎ、南海地震が発生した。鷲敷町の震度は5で、町民のほとんどが屋外に飛び出し、畑や竹藪などで夜を明かした。幸い町内では人畜の被害も、火災の発生もなかったが、屋根瓦が落ちたり、道路等の欠潰があった。 続きを読む
昭和9年(1934)9月21日午前5時頃、高知県奈半利町に上陸した台風で、最低気圧684ミリ、最大風速45mという当時の世界最大級の台風と言われた。鷲敷町には大きな被害がなかった。 続きを読む
大正7年(1918)8月29日、30日、大正7年の大水と言われる大洪水があった。浸水家屋341戸、避難した家10戸、流出家屋17戸、倒壊家屋6戸。 和食郷西在庵境内には、大正7年の大水に際して多くの人命を救助した岩端利三郎の墓がある。その墓には、那賀川の大洪水... 続きを読む
大正7年(1918)7月11日午前7時より増水、午後2時頃より減水せしも、翌12日午前4時30分増水しはじめ、同11時10分那賀川増水3丈6尺に及べり、流出田8町歩、浸水35町。蛭子神社鳥居東側、椴9尺廻り、長さ10間地上4間以上より倒壊。また、和食町もほとん... 続きを読む