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57件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 那賀町(上那賀町)

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大正7年の山崩れ

大正7年(1918)8月30日、姥ヶ谷部落の裏山山腹崩壊により、1戸倒壊、2名死亡。(「柳瀬部落誌」による) 続きを読む

大正7年の大火

大正7年(1918)1月24日午前10時頃、東尾村の西方の山林で山作業していた人が湯を沸かしている間に失火したらしく、火は干天続きで乾ききった草原に燃えうつり、さらに風にあおられて村全体に燃え広がった。遠く離れた3戸を残して、全村18戸のうち15戸を焼き尽くし... 続きを読む

大正7年の洪水

大正7年(1918)、大洪水により、小浜で最大20.6mを記録。 続きを読む

明治25年の洪水

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明治25年(1892)7月25日正午頃、木頭村大字大戸村(現上那賀町大戸)の標高約600mの高磯山が大崩壊し、崩積物は対岸の春森へ河床から約110mまで押し上げて那賀川を堰き止めた。天然ダムは最低所が河床から71m(標高251m)の高さで、上流に湛水量推定7,... 続きを読む

明治25年の高磯山崩壊

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明治25年(1892)7月25日、高磯山が崩壊し、木頭・坂州の両部落で家屋等の流失や浸水の被害が出る。(「徳島県災異誌」による) 続きを読む

明治25年の高磯山崩壊

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明治25年(1892)7月25日、台風のため、上那賀町大戸にある高磯山(611m)が土砂崩壊を起こした。那賀川は土砂によって堰き止められ、にわかの天然ダムによって上流では侵入被害で家屋が流出した。28日午後になって土砂ダムが崩壊したため、その洪水が下流の和食に... 続きを読む

明治25年の高磯山崩壊

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明治25年(1892)7月22日以来の大雨によって、25日正午頃中木頭村(現上那賀町)大字御所谷村三文坂峠が高さ300間(約540m)、幅200間にわたって崩れ落ち、土砂は那賀川を埋めた。堰き止められた水は坂州村にまで及び、人家30戸を流し死者数十人を出した。... 続きを読む

明治25年の高磯山崩壊

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明治25年(1892)7月25日午前11時から正午にかけて、高磯山が崩壊し、荒谷・春森の両集落では人家10数戸と住民60余人が埋没した。崩落した土砂は那賀川を堰き止め、貯まった水は150戸余の人家を浮上、流出させた。その後、27日午後4時頃に堰が決壊し、下流の... 続きを読む

明治25年の高磯山崩壊

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明治25年(1892)7月25日、台風による豪雨のため、高磯山(標高611m)が崩壊し、流出した約400万立米の土砂により崩壊家屋15戸、死者65人の大災害を引き起こした。7月27日には、高磯山崩壊で土砂が那賀川を堰き止めてできた天然ダムが決壊し、「赤土水」と... 続きを読む

明治25年の高磯山崩壊

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明治25年(1892)7月25日午前11時または正午頃、台風に伴う集中豪雨により、下木頭村大戸の高磯山が大規模に崩壊した。このため、荒谷及び春谷の人家10数戸、60余人を埋没させた。崩壊土砂は那賀川を堰き止め、天然ダムの湛水は1時間に2尺に割合で上昇した。崩壊... 続きを読む

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