86件のアーカイブスが見つかりました。
条件:高知県 越知町
明治19年(1886)9月10日、台風により、下渡場で6戸全倒、1人圧死した。文徳では2戸全倒し、仁淀川の出水は越知小学校まで押し寄せ、肩を没する水位となった。今成の松林には材木千余本が流れかかり、小高いところにある商家でも水が二階まで上がり、家族は山に逃げ上... 続きを読む
明治17年(1884)8月25日、台風が九州中部から周防灘に向い、越知村では午後6時から10時頃まで暴風が続き、全倒6戸のほか、瓦を吹き飛ばされる家は数え切れないほどであった。 続きを読む
嘉永2年(1849)7月9日、仁淀川の大洪水により、越知下渡しの家で床上1m位まで水位が上昇し、家の中に大舟を引き入れて家財道具を運んだと伝えられている。酉年の大水という。 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日の地震に伴う土砂災害により、仁淀川中流の舞ヶ鼻に天然ダムが形成された。天然ダムの湛水標高は61m(湛水高18m)と推定され、越知町柴尾地区には「石碑(湛水標高61m)より下部には家を建てるな」という言い伝えが残されている。 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日の南海地震により、「越知町史」によると、越知町鎌井田の舞ヶ鼻が崩壊し、仁淀川がせき止められて天然ダムが形成された。崩壊地の対岸には角礫状の巨礫を多く含む台地状地形が存在し、河道閉塞地点であることが分かる。河道閉塞を起こした地すべり... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日、東南海地震(M8.4)と南海地震(M8.4)が起こり、「宝永地震記」によれば、越知町横倉・別府山二の宮の山で40~50丁が崩れ落ちたと言われているが、現地調査では確認できなかった。 続きを読む