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1012件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 西条市

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寛永8年の干ばつ

寛永8年(1631)、大干ばつ。(「田野村誌」等による) 続きを読む

寛永4年の洪水

寛永4年(1627)、大洪水、害虫発生により、凶作。(「災害の歴史」、「愛媛社会経済年表」、その他郷土資料による) 続きを読む

寛永3年の洪水

寛永3年(1626)、大洪水により長野村が流れた。(「田野村誌」等による) 続きを読む

寛永3年の干ばつ

寛永3年(1626)、大干ばつにより、草木、川魚枯死。(「災害の歴史」、「愛媛社会経済年表」、その他郷土資料による) 続きを読む

寛永3年の洪水

寛永3年(1626)、大洪水により、長野村の民家が流失した。 続きを読む

元和2年の洪水

元和2年(1616)、大洪水により、中山川筋が大破、家や人が漂流。(「災害の歴史」、「愛媛社会経済年表」、その他郷土資料による)また、田野村「野口庄屋文書」では、この時の洪水により、光下田にあったと言われる道萬寺や人家、田地が流失したことを伝えている。 続きを読む

元和2年の洪水

元和2年(1616)、大洪水により中山川が大破し、民家が漂流し、死者が多数出た。また、田野上方の道満寺が流失した。川根谷の出水で高松へ押し抜き、川口が潰れ、入津出船が止まった。(「田野村誌」等による) 続きを読む

慶長19年の地震

慶長19年(1614)10月25日、大震災の時、海上荒れて大波打ち来たり、田畑や人家が流失し、人も多く死んだ。その荒れた果て土地を領主加藤嘉明の命によって奉行徳本三郎兵衛が開墾したのが三津屋である。(「多賀村郷土誌」による)また、この地震で道後温泉の湧出が止ま... 続きを読む

慶長19年の地震

慶長19年(1614)10月5日、大震災により、海上荒れて大波打ち寄り、御津野名の田畑と人家が流失し、死者が多く出た。その荒れた土地を、領主加藤嘉明の命により、奉行徳本三郎兵衛が開墾した。 この土地は、寛永2年(1625)3月18日、再度震災を受けたが、その後... 続きを読む

慶長元年の地震

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慶長元年(1596)7月9日、大地震が発生し、広江村は地盤沈下のために西南にある高燥な現在地に集団移住した。(「密林山徳蔵寺由来記」による)また、鶴岡八幡宮は、地震のため神殿、宝蔵、神器、記録などが地中に没したため、現在地に遷座して社殿を復旧した。(「多賀村郷... 続きを読む

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