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448件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 西予市

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文政4年の水論

文政4年(1821)、宇和郡大江村と真土村で水論。(「伊豫史談」282号による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

文政3年の水害

文政3年(1820)、水害により、農作物の被害多し。(「明浜こぼれ話」、「愛媛県史」、「東宇和郡沿革史」等による) 続きを読む

文政3年の風雨

文政3年(1820)、大風雨により、損害甚大。(「宇和島藩」による) 続きを読む

文化12年の干ばつ・大雨

文化12年(1815)5月中旬より7月上旬まで干ばつ、7月6日より8日まで昼夜大雨、洪水により、17,443石余。(「藤蔓延年譜」による)7月8日、前代未聞の洪水により、御城下より南各組大破。(「宇和島藩」による) 続きを読む

文化9年7月の洪水

文化9年(1812)7月12日~13日、洪水により、損毛770町、溺死2人。(「記抜」による)吉田領の損毛3,004石余。 続きを読む

文化9年6月の洪水

文化9年(1812)6月3日、洪水により、損毛12,200石。 続きを読む

文化9年の地震

文化9年(1812)3月10日夜6ツ半時、伊予灘東部でM6.9の地震が発生した。「松山史要」によれば、3月10日より15日まで地震が起こり、損害が多かった。三瓶町でも、ある程度の揺れはあったものと思われる。 続きを読む

文化6年の風雨

文化6年(1809)夏、大風雨により、損毛23,000石。(「宇和島藩」による)吉田領の損毛5,317石余。 続きを読む

文化4年の風雨

文化4年(1807)10月、風雨により、損毛40,000石余。(「宇和島藩」による) 続きを読む

享和4年の洪水

享和4年(1804)7月、流失家屋175軒、溺死3人。8月家屋倒壊172軒、死者14人、死午牛18頭。この年の損毛70,329石、吉田領の損毛田畑合計で20,907石余。 続きを読む

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