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98件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 美馬市 風水害

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昭和13年の台風

昭和13年(1938)9月5日の暴風雨は郡里、重清に未曾有の惨害をもたらした。村内の各河川は大水となり、各所で堤防が決壊した。被害は、死者5人、家屋の流失・倒壊、田畑の埋没・流失50町歩、水路・農道等の公共施設の損壊などに及び、罹災救助基金法により救助が行われ... 続きを読む

昭和9年の室戸台風

昭和9年(1934)9月21日、中心気圧912hpの台風が室戸岬の西に上陸し、県東部、神戸を経て若狭湾に通り抜けた。脇町に最も接近したのは4時頃である。脇町の雨量は171ミリであったが、それが強風とともに短時間に降ったので非常に激しい暴風雨となり、被害も大きか... 続きを読む

昭和9年の室戸台風

昭和9年(1934)9月21日午前5時過ぎ、室戸台風が通過し、風雨が強く、吉野川をはじめ河川が増水し、大洪水となった。吉野川では11.22mの増水、最大風速36.7mと言われた。被害は稲作、桑園で大きかった。 続きを読む

大正7年の台風

大正7年(1918)7月10日~13日の台風により、川上中枝谷では山津波が起き、家屋2戸が土砂に押し潰され、田畑6反余が流失した。木屋平の地域住民は総出で埋没物や土砂の除去作業を行い、石垣を積み、外側に高さ1.5m、内側に3mの信玄堤を造り、将来の災害に備えた... 続きを読む

大正7年の洪水

大正7年(1918)7月、8月の2回の大雨によって、吉野川など各河川は大洪水となり、大きな被害を受けた。吉田谷川では県道取合の堤防21間が決壊し、家屋流失2戸、埋没9戸、土地埋没3町歩の被害を出した。また、玉振谷川では玉振谷川神社横堤防34間の決壊により、家屋... 続きを読む

大正元年の洪水

大正元年(1912)9月23日、前日からの台風により吉野川は大洪水となり、阿讃山脈は大荒れとなった。野村谷川、鍋倉谷川、中野谷川、高瀬谷川などでは、大量の出水による堤防の決壊、道路の決壊、耕地・宅地の埋没、家屋の埋没など大きな被害をもたらした。特に郡里玉振神社... 続きを読む

大正元年の台風

大正元年(1912)9月22日、中心気圧933hpの台風が室戸岬付近から徳島県東部を経て阪神方面に通り抜けた。脇町付近に最も接近したのは22日夜半頃であった。脇町では大谷川が氾濫し、右岸の民家50戸が流失し、子ども2人が死亡した。脇町の雨量392ミリ、吉野川の... 続きを読む

大正元年の台風

大正元年(1912)9月22日朝、台風に伴う雨により、大谷川上流の北庄用水取水口付近で山崩れが起こり、大谷川がせき止められたが、午後8時頃に土砂が一斉に流れ出した。大谷川では右岸堤防が約540m、左岸堤防は南へ約180mが決壊し、住宅43戸が流失、2戸が半壊し... 続きを読む

明治44年の台風

明治44年(1911)8月15日、台風が九州南部から四国西部を経て鳥取県に通り抜けた。15日~16日の2日間の雨量は脇町で187ミリであったが、高知県の山間部の雨量が特に多かったので、吉野川の洪水は特に激しく脇町では平常水位より11m高くなった。土佐水として代... 続きを読む

明治32年の洪水

明治32年(1899)9月8日午後2時頃、吉野川の増水で脇町の堤防35mが破損した。この時の豪雨で、曽江山でも堤防360mが損壊、拝原の道路30mが破損、岩倉では人家3棟が倒壊した。 続きを読む

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