検索結果

98件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 美馬市 風水害

年代順で並び替える : |

天保7年の洪水

天保7年(1838)夏中降り続き、中郡大いにききん之沙汰、秋毛丸て水入壱粒も取れ不申。(「兵助日記」による) 続きを読む

天保10年の洪水

image

天保10年(1839)、連日の大雨による大洪水で、土佐の御用木桧材749本が吉野川に流出し、舞中島は大きな被害を受けた。この水害でなくなった人を供養するため、舞中島光泉寺の境内及び穴吹橋から200m程上流右岸に地蔵像が建立された(国道192号をつくるために国道... 続きを読む

天保10年の洪水

image

天保10年(1839)、大洪水により、土佐の御用木ヒノキ749本が吉野川へ流出し、舞中島も大きな被害を受けた。その折の死亡者を供養するため、光泉寺の境内には地蔵尊が建立されている。(宮崎淳) 続きを読む

天保10年の洪水

天保10年(1839)8月、古今稀成大水、岩倉山之内別所殊の外大風。(「兵助日記」による) 続きを読む

天保10年の台風

天保10年(1839)8月9日を中心に、岩倉地方を大風が襲ったことが「兵助日記」に記されている。岩倉村では強風が吹き荒れ、特に井口谷左岸に位置する別所地区では、60戸ほどのうち53戸の建物(居宅37戸、納屋16戸)が吹き倒され、3人の死者と10数人の負傷者が出... 続きを読む

天保14年の洪水

天保14年(1843)7月、名東郡就中徳島前代未聞之大水。(「兵助日記」による) 続きを読む

嘉永2年の洪水

嘉永2年(1849)7月10日~11日、大風雨。阿房水と呼ばれる。(「三好郡誌」による) 続きを読む

安政4年の洪水

安政4年(1857)7月1日、大風雨により下郡(吉野川下流域)に被害が続出し、一村平均120戸余に損害が出たという。また、7月29日には、降り続く大雨によって吉野川が氾濫し、脇町では島口から西角あたりまで床上浸水の被害を受けた。突抜町の吉田家でも、吉野川の石垣... 続きを読む

安政4年の洪水

安政4年(1857)7月29日4ツ時から風が吹き出し大雨も降り出して、8月1日朝5ツ時分まで打ち続いた。八朔水と呼ばれる。(「三好郡誌」による) 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)8月1日からの大風雨により、谷々は言うに及ばず吉野川の増水はひとしおで人々は肝を冷やしたという。寅の水、または七夕水と呼ばれる。(「三好郡誌」による) 続きを読む

1 2 3 4 5 6 7 8 10