163件のアーカイブスが見つかりました。
条件:徳島県 石井町
明治25年(1892)7月23日、暴風雨のため高畑堤(鍛治塚堤)決潰、高畑村竜蔵堤の西端決潰、その決潰の箇所より幅40間、深さ3間、長さ30~40間純然たる小川となり、その下は広く田圃の間を流れて飯尾川に注ぐ。(「徳島日々新聞」による) 続きを読む
明治21年(1888)9月11日午後4時頃吉野川の出水、夜半過ぎ西覚円村堤防決潰し、翌12日午前2時頃出水極度。(「普通新聞」による) 普通新聞は、堤防決潰による出水の時、築堤工事の人夫数十名は安全な場所に逃げたが、小屋の中にいた人夫と家族の合計4人は逃げ遅れ... 続きを読む
明治21年(1888)9月11日、洪水により、東覚円の堤防80間が決壊し、ついで西覚円村緑地区の切れ残りの堤防80余間が崩壊し、居宅5戸と7月31日の洪水のため家を流された人たちの仮小屋41戸が流失するなどの被害が出た。同年10月に徳島県議会では吉野川改修工事... 続きを読む
明治21年(1888)7月31日、洪水により、9割方完成した西覚円の新堤防が369間(664m)にわたり決壊し、人家78戸が押し流され、26人が亡くなり、560余人が住家を失う被害が発生した。覚円地区の住民は、県による引堤工事の遅延と、内務省が施工した沈床工が... 続きを読む
明治21年(1888)7月31日、吉野川は大洪水となり、名西郡西覚円村では引堤工事が完成していない箇所から濁流が浸入して堤防が決壊し、ついに300間ほどの大破堤となった。このため、堤外人家2戸と堤内の民家13戸ほどを押し流し、その激流は高畠村の民家約30戸ほど... 続きを読む
明治21年(1888)7月31日、吉野川は大洪水となり、9割方完成した西覚円の新堤防が369間(664m)にわたり決壊し、死者27人、流失・潰崩人家116戸の被害が出て、560余人が住家を失った。さらに9月11日の洪水では、東覚円の堤防80間が決壊し、居宅5戸... 続きを読む