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109件のアーカイブスが見つかりました。

条件:高知県 物部川流域

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明治19年の台風

明治19年(1886)9月10日、台風による洪水のため、物部川の堤防が300間と150間の2箇所決壊。物部川堤防事件の原因となった災害である。この年、8月20日、9月10日、17日、24日と4回の台風が襲来した。 続きを読む

明治19年の台風

明治19年(1886)9月10日、台風により、物部川が西岸竹ヶ端堤防で約100間(182m)、東岸仁尾島堤防で約150間(273m)が決壊、深渕村の田畑が押し流された。(「野市町史」による)/物部川の堤防決壊により、西岸の立田、田村、下島、久枝を濁流に巻き込ん... 続きを読む

明治19年の台風

明治19年(1886)9月10日、台風により物部川の堤防が300間と150間の2箇所にわたって決壊した。この洪水後、堤防復旧工事の費用負担をめぐって、「物部川堤防事件」が発生した。(物部川の主な洪水の歴史による) 続きを読む

明治19年の台風

明治19年(1886)8月20日、9月10日、17日、24日と4回の台風が襲来し、物部川の堤防が300間と150間の2箇所決壊した。 続きを読む

文政5年の洪水

文政5年(1822)6月3日、洪水のため流域に被害。 続きを読む

文化12年の洪水

文化12年(1815)7月6日、洪水により、死者83人、家屋流失181戸、損米数万石。(物部川の主な洪水の歴史による) 続きを読む

文化12年の洪水

文化12年(1815)7月、物部川で「亥の大変」と呼ばれる大災害があり、山田堰下流の両岸はほとんど決壊したという。 続きを読む

文化12年の洪水

文化12年(1815)7月、「亥の大変」を称される大洪水のため、かつて山田堰があった付近(現在の河口より9.8km付近)より下流の堤防の大半が決壊し、氾濫流は物部川の本川へは還らず、支川後川沿いの浜堤を押し切り海へと直接流れ出たと言われ、現在も南国市前浜に切戸... 続きを読む

享和2年の洪水

享和2年(1802)7月6日、洪水のため、堤防破壊76,090間余、家屋流失169戸。 続きを読む

享和元年の洪水

享和元年(1801)7月3日、洪水により、死者82人、損田735町余。(物部川の主な洪水の歴史による) 続きを読む

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