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241件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 海陽町

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昭和21年の南海地震

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昭和21年(1946)12月21日、南海地震及び津波により、浅川地区の被害は家屋の流失441戸、全壊364戸、半壊189戸、浸水65戸、県道流失1,500m、村道流失5箇所、橋梁流失3箇所、船舶流失80隻、死者79人、行方不明者6人、重軽傷者80人等に及ん... 続きを読む

昭和21年の南海地震

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昭和21年(1946)12月21日4時19分、紀伊半島沖で発生したM8.1の南海地震により、徳島県下の被害は死者202人、全壊家屋602戸、流失家屋413戸、半壊家屋914戸に及んだ。そのうち、沿岸部の被害はほとんどが津波によるものであった。この研究では、... 続きを読む

昭和21年の南海地震

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昭和21年(1946)12月21日、M8.1地震、津波。(「宿命の浅川港」による) 丸山盛夫氏の津波体験記によると、津波により浦上川に沿って須賀崎、東の町は跡形もなく被害を受けており、大きな漁船が家を押しつぶしていた。この他にも、「宿命の浅川港」から抜粋した2... 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)、南海地震津波が四国・紀伊半島沿岸域を襲った。次の南海地震は規模が大きく、21世紀前半にも起きると言われており、これらの地域では津波防災が急務となっている。この研究では、津波来襲時の避難行動に影響を及ぼす住民の意識構造について、四国沿岸の... 続きを読む

昭和21年の南海地震

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昭和21年(1946)の南海地震で、海南町の家族が持ち物を準備していて逃げ遅れ、津波が押し寄せる中を必死に逃げたが、四女を背負った長女は津波に行く手を阻まれて「お母ちゃん行けんもん」と言ってこの世を去った。(「宿命の浅川港」による)地震後は津波に備えて一刻も早... 続きを読む

昭和21年の南海地震

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昭和21年(1946)の南海地震で、海南町の家族が持ち物を準備していて逃げ遅れ、津波が押し寄せる中を必死に逃げたが、四女を背負った長女は津波に行く手を阻まれて「お母ちゃん行けんもん」と言ってこの世を去った。(「宿命の浅川港」による)地震後は津波に備えて一刻も早... 続きを読む

昭和21年の南海地震

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昭和21年(1946)、南海地震津波が浅川を襲った。この時の津波資料は比較的残されており、津波の痕跡が現存し、また津波の目撃者もかなり生存している。そこで、この研究では、津波の来襲状況の記録などを調査し、さらに数値計算を行うことにより、浅川湾の津波特性を明らか... 続きを読む

昭和20年の枕崎台風

昭和20年(1945)9月17日~18日、枕崎台風により被害。 続きを読む

昭和16年の洪水

昭和16年(1941)8月15日、海部川洪水、吉野橋陥没、川東村田畑130町歩浸水。 続きを読む

昭和13年の洪水

昭和13年(1938)9月5日、海部川洪水、堤防決壊。 続きを読む

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