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241件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 海陽町

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寛文5年の大火

寛文5年(1665)、東町で大火。前年残った大半が焼失。観音寺焼失。(「観音寺記録」による) 続きを読む

寛文4年の火災

寛文4年(1664)2月3日、鞆浦で火災、259戸焼失。 続きを読む

寛文4年の火災

寛文4年(1664)2月3日、海部郡鞆浦で大火が発生し、総戸数370戸のうち259戸が焼失した。(「国政温故録」による) 続きを読む

寛文4年の大火

寛文4年(1664)、鞆浦全域で大火。259戸(68%)焼失。 続きを読む

寛文2年の大火

寛文2年(1662)、南町方面に大火。万照寺焼失。(「万照寺記録」による) 続きを読む

正保4年の洪水

正保4年(1647)、海部川の氾濫により、城山北麓の判形屋敷及び拝地が流失し、大里その他へ多く移住した。 続きを読む

慶長9年の地震

慶長9年(1604)12月16日、大地震、津波。四国の太平洋岸では特に津波の被害が大きく、土佐と宍喰で死者3,800人に及んだ。(「徳島県災異誌」、「徳島県史」、「徳島県史料年表」、「吉野川」、「松島町史」等による) 続きを読む

慶長9年の南海地震

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慶長9年(1604)12月16日、南海地震が発生した。この冊子には、慶長南海地震に関する石碑等として、海陽町浅川の天神社「折損鳥居」、鞆浦の大岩「慶長・宝永地震津波碑」に関する情報が掲載されている。 続きを読む

慶長9年の地震

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慶長9年(1604)12月16日辰半刻(午前8時)より申上刻(午後3時)まで大地震が起こり、酉上刻(午後5時)頃より津波が襲った。170余人の人々が小山に逃げるが、老人や幼少の者は波に打ち倒されて流死した。円頓寺(えんどじ)の人々は本尊、証文などを持ち、命から... 続きを読む

慶長9年の地震

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慶長9年(1604)、大地震・大津波。鞆浦北町の路傍にある高さ1丈、径1.2~1.8丈の砂岩の碑文が刻まれている。碑文には、慶長9年12月16日亥の刻(午後10時)に大海三度鳴り、高さ10丈の逆浪が7度来たため、男女100余人が海に沈んだので、後世に伝える旨が... 続きを読む

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