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241件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 海陽町

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明治25年の水害・土砂災害

明治25年(1892)7月23日、宍喰川の氾濫と山岳崩壊により、宍喰村は下記の被害を受けた。流死1人、家屋半壊4戸、浸水190戸、船舶の破壊・流失2艘、河川堤防決壊24箇所、汐除堤防決壊5箇所、道路破損10箇所、橋梁破損2箇所、山岳崩壊3箇所など。 続きを読む

明治25年の保瀬の崩壊

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明治25年(1892)7月、豪雨により、海南町保瀬で大崩壊が起こり、47人の犠牲者を出した。この時も、高磯山の崩壊と同様に、崩壊した土砂が河谷を埋めて天然ダムを形成した。 続きを読む

明治25年の洪水

明治25年(1892)、保瀬切れの大洪水。 続きを読む

明治25年の水害

明治25年(1892)、宍喰川のあめやばりの堤が切れて、正梶の田が流失し、宍喰川橋が流失した。 続きを読む

明治25年の地震・津波

明治25年(1892)、富岡地方地震、津波。 続きを読む

明治24年の洪水

明治24年(1891)8月16日、洪水によりかねてから憂慮していたように人家及び農作物に大きな被害が出た。(池内徳蔵「諸経歴概要記」による) 続きを読む

明治24年の濃尾地震

明治24年(1891)、濃尾大地震。 続きを読む

明治23年の洪水

明治23年(1890)9月、洪水により海部川左岸の川東・川西両村で浸水家屋175戸、冠水田畑256町歩という被害が出た。これは、海部川右岸の奥浦村民が悲願としていた奥浦大堤防が完成した直後のことであり、かねて奥浦大堤防が対岸に水害を招くことを心配していた川東村... 続きを読む

明治23年の水害

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明治23年(1890)、念願の奥浦大堤防が完成した秋、大雨が続き海部川が氾濫して、奥浦大堤防の対岸の川東・川西村で浸水家屋175戸、冠水田畑256町歩余の被害が出た。かねてから奥浦大堤防築造に反対していた川東村民は、県知事に撤去を要請した。県知事は撤去の議案を... 続きを読む

明治11年の洪水

明治11年(1878)9月3日、大雨により海部川で出水。水嵩が堤天よりも高くなり、吉野村の堰堤が大決壊。 また、9月20日にも再度出水し、吉野村字前川原堤防が大決壊。(「川東村史材料調査書」による) 続きを読む

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