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条件:徳島県 海陽町(海南町)
明治26年(1893)6月から8月13日までの64日間、全く雨のない干天が続き、翌27年も干害となった。多良村の人々が大里用水に新たに数個の堰を設けて取水したところ、下流の大里村の人々が27年3月に堰を取り払い、対立した。警官が出動、郡長や村長の仲裁で一旦は堰... 続きを読む
明治25年(1892)7月25日午後2時頃、保勢が崩壊して、海部川を堰き止めた。崩壊により北岸の山麓にあった3家族11人及び山稼ぎ36人、馬3頭が家屋とともに生き埋めになった。堰き止めによってできた自然ダムの決壊日時は、同年7月31日の徳島日日新聞の記事により... 続きを読む
明治25年(1892)7月25日午後2時頃、保勢山の中腹が幅300m、長さ800mにわたり崩壊して、海部川を堰き止めた。崩壊により北岸の山麓にあった3家族11人及び山稼ぎ36人は家屋とともに生き埋めになった。田畑4町歩も埋没した。海部川を堰き止めていた土砂は2... 続きを読む
明治25年(1892)7月25日、台風に伴う集中豪雨により、海部川中流右岸の保勢(保瀬)で大規模崩壊が起こり、4戸が埋没し、住民11人と山稼ぎ人36人が生き埋めとなった。崩壊土砂は河道を閉塞し、巨大な天然ダムを形成したため、湛水によって8戸が流出し、9人が水死... 続きを読む
明治25年(1892)7月25日、豪雨が海部川上流や那賀川上流を襲ったため、保瀬で大崩壊(土量約200万立米)が起こり、海部川の水を堰き止めた。このため、寒が瀬一帯は濁流に没し、4戸埋没、8戸流失、死者47人に被害を出し、上流一里半の樫谷の大杉の鞘が水に隠れ、... 続きを読む
明治25年(1892)7月25日午前10時頃、川上村大字平井の保瀬の右岸山上が大崩壊した。山の土砂が海部川を堰き止め、洪水は逆流し、寒ヶ瀬一帯は濁流に襲われた。この大崩壊のため、埋没4戸、洪水による流失8戸、死者47人を出した。この災害は、大戸の崩壊とともに徳... 続きを読む
明治25年(1892)7月25日の豪雨時に、保瀬で崩壊が発生し(崩壊土量200万立米)、天然ダム(湛水量1,400万立米)が形成され29時間後に決壊したが、事前に避難。 続きを読む