87件のアーカイブスが見つかりました。
条件:徳島県 板野郡 風水害
大正元年(1912)9月22日より24日及び10日2日、洪水により、水量は田地上1丈となった。但し、潮水浸入は約5尺であった。堤防214間が決壊し、被害範囲は全村にわたり、稲田、大豆、芋、甘藷、梨に被害が出た。このうち、収穫皆無地は約10町歩、荒地は約40町歩... 続きを読む
大正元年(1912)9月22日より24日及び10日2日、洪水により、水量は田地上1丈となった。但し、潮水浸入は約5尺であった。堤防214間が決壊し、被害範囲は全村にわたり、稲田、大豆、芋、甘藷、梨に被害が出た。このうち、収穫皆無地は約10町歩、荒地は約40町歩... 続きを読む
明治40年(1907)、連日の大降雨により吉野川が増水し、各所で堤防が決壊した。大津村では堤防決壊85箇所、延長2,825間に及び、大代のごく小区域を除いて全部浸水した。人家の浸水は座上4寸から4尺に達した。また潮水も浸水し、家屋の破損、諸器具の流失・浸水を招... 続きを読む
明治40年(1907)、連日の大降雨により吉野川が増水し、各所で堤防が決壊した。大津村では堤防決壊85箇所、延長2,825間に及び、大代のごく小区域を除いて全部浸水した。人家の浸水は座上4寸から4尺に達した。また潮水も浸水し、家屋の破損、諸器具の流失・浸水を招... 続きを読む
明治32年(1899)7月9日、吉野川筋では出水し、堤防が数箇所決壊したため、堀江、松茂、大津の各村は大海のようになった。同日午後11時頃に、前記各村に浸入した水は撫養町の南浜、斎田、木津に押し入ったが、警察署の巡査が各村に出張し救護に務めたことなどにより1人... 続きを読む