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条件:愛媛県 松山市

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明和7年の火災

明和7年(1770)12月26日、山手代町から出火、新立まで焼失する。また、同夜、北清水町からも出火し、鉄砲屋町東詰で止まる。侍屋敷11、徒士以下の家290、町家650、寺2軒焼失する。「増田家記」「予松御代鑑」「三田村秘事録」による) 続きを読む

明和8年の干ばつ

明和8年(1771)、干ばつ。(「伊予温故録」による) 続きを読む

明和8年の干ばつ

明和8年(1771)、干ばつ。 続きを読む

明和8年の干ばつ

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明和8年(1771)、大干ばつの時、麻生村の市の井手で外5ヶ村と水論に及び、即死2人、負傷者多し。(「伊予温故録」による)/明和8年、大いに旱して、田畑作枯れ。(「大洲旧記」による)大いに旱す。(「日本気象史料(東宇和郡沿革史)」による) 続きを読む

明和8年の干ばつ

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明和8年(1771)、大干ばつのため、徳丸村・出作村(松山領)・南神崎村・上野村(天領)及び八倉村(大洲領)の五ヶ村が古樋井手の筧を切り落としたため、上麻生村(大洲領)・下麻生村(新谷領)の両村と間で乱闘が起こった。この矢取川の乱闘で死者2人と多数の負傷者が出... 続きを読む

明和8年の干ばつ

明和8年(1771)、干ばつのため、麻生と上野ほか5村と水論、死人2名。 続きを読む

明和8年の干ばつ

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明和8年(1771)、大干ばつのため、松山藩預所の徳丸村・出作村、大洲領八倉村・宮ノ下村・上野村の5ヶ村は、重信川よりの取水をめぐって、上手の麻生村と大水論を起こした。矢取川の河原での乱闘で2人の死者が出て、事件の責任を負った下麻生村の窪田兵衛門が死罪となった... 続きを読む

明和7年の火災

明和7年(1770)10月29日、忽那島出火、146軒焼失。 続きを読む

明和7年の火災

明和7年(1770)10月29日、忽那島出火、146軒焼失。 続きを読む

明和7年の火災

明和7年(1770)10月29日、忽那島出火、146軒焼失。(大洲領の災害) 続きを読む

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