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355件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 東温市

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宝暦3年の水論

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宝暦3年(1753)、洪水があり、重信川の瀬筋を南側に移動させた。このため、三か村井堰の関切場を下林側の伽藍口門樋に接近させて設置したところ、水論が発生した。伽藍口門樋に接近されると、三か村井堰からの漏水と湧水を期待することができないためである。この年は郡役人... 続きを読む

寛延3年の干ばつ

寛延3年(1750)、干ばつ。 続きを読む

寛延2年の水論

寛延2年(1749)、浮穴郡下林村滝の下泉で水論。(「重信町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

延享元年の台風

延享元年(1744)8月17日、暴風雨。 続きを読む

寛保元年の台風

寛保元年(1741)7月、暴風雨。 続きを読む

元文4年の台風

元文4年(1739)8月5日、暴風雨。 続きを読む

元文4年の水論

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元文4年(1739)6月、菖蒲堰の上堰と下堰の分水をめぐり、水論が起こった。 続きを読む

元文4年の水論

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元文4年(1739)6月、干ばつにより重信川の流水が減少したため、菖蒲堰の上堰側は堰を二重にして慣行の禁止事項である土砂でせき止めた。このため、下堰側はこの措置の不当を訴えて、北方村庄屋に抗議をした。しかし、上堰側も用水量が不足していたため、話し合いは進まず、... 続きを読む

元文4年の水論

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元文4年(1739)6月、干ばつにより重信川の流水が減少したため、菖蒲堰の上堰側は堰を二重にして慣行の禁止事項である土砂でせき止めた。このため、下堰側はこの措置の不当を訴えて、北方村庄屋に抗議をした。しかし、上堰側も用水量が不足していたため、話し合いは進まず、... 続きを読む

元文4年の水論

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元文4年(1739)、菖蒲堰の上堰を利用していた北方村が堰を二重にするとともに、中世以来の禁止条項を破って土砂を用いて取水を始めた。用水が枯渇した下堰の樋口・志津川・西岡3ヶ村が抗議したが、北方村が慣行に従わなかったため、下堰側3ヶ村民は実力行使で堰を切り崩し... 続きを読む

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