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117件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 東温市(重信町)

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明治21年の大雨

明治21年(1888)9月11日、昨夜来の大雨により横河原の堤防が破損し、田窪村の東南を水が襲い、人が奔走して防御した。すなわち、樋口村の字百軒という堤防を破壊し、横河原のほとんど全域が浸水した。水勢は二派に分かれ、一つは志津川村の中央駅の各家を押し流し、もう... 続きを読む

明治21年の洪水台風

明治21年(1888)9月11日、暴風雨により、横川、田窪南方(重信町)で堤防決壊。 続きを読む

明治21年の洪水

明治21年(1888)9月11日、昨夜来の大雨で横川(横河原)の堤防が破損し、田窪村の東南に水が襲来したため、人々は水防に当たった。樋口村の字百軒と称する堤防が決壊し、横川(横河原)全域がほとんど浸水した。水勢は2つに分かれ、一つは志津川村の中央駅中の各家庭を... 続きを読む

明治21年の大雨

明治21年(1888)9月11日、昨夜来の大雨により横河原の堤防が破損し、田窪村の東南を水が襲い、人が奔走して防御した。すなわち、樋口村の字百軒という堤防を破壊し、横河原のほとんど全域が浸水した。水勢は二派に分かれ、一つは志津川村の中央駅の各家を押し流し、もう... 続きを読む

明治26年の水害

明治26年(1893)、重信川で水害。重信川では明治期に鉄砲水による水害が相次いだが、その原因は廃藩置県以後の山林伐採であると伝えている。(「重信町誌」による) 続きを読む

明治26年の洪水

明治26年(1893)10月14日、豪雨のため重信川大出水。田窪の人々は排志側に、見奈良の人々は横河原西堤防に参集し、死力を尽くして防御した。薄暮になって、川の東の北方や南方の堤防が破壊されたので、わが村は事なきを得た。(見奈良の「相原日記」による) 続きを読む

明治26年の洪水

明治26年(1893)10月14日、豪雨のため重信川大出水。田窪の人々は排志側に、見奈良の人々は横河原西堤防に参集し、死力を尽くして防御した。薄暮になって、川の東の北方や南方の堤防が破壊されたので、わが村は事なきを得た。(見奈良の「相原日記」による) 続きを読む

明治26年の洪水

明治26年(1893)10月14日、昨夜の雨が激しく、重信川は大出水となった。田窪の人々は拝志側に、見奈良の人々は横川(横河原)西堤防に参集して水防に当たり、薄暮に川の東に沿う堤防が決壊したため、水は彼方に傾き、我が居村(見奈良)は事なきを得た。(「相原日記」... 続きを読む

明治29年の水害

明治29年(1896)、重信川で水害。重信川では明治期に鉄砲水による水害が相次いだが、その原因は廃藩置県以後の山林伐採であると伝えている。(「重信町誌」による) 続きを読む

明治29年の洪水

明治29年(1896)8月16日午後より雨が降り始め、17日まで大雨となり、18日朝3時頃東風が起こり、風雨が強まり、午前8時過ぎから風向が南に変わり、やがて西に移り風雨が激しくなった。正午過ぎに横川(横河原)の西堤防(志津川分)数十軒が破壊され、水は見奈良の... 続きを読む

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