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条件:愛媛県 東温市(重信町)
享保17年(1732)5月20日より、天候不順となり霖雨続き、重信川が氾濫した。続いて、6月初めよりウンカが発生した。このため、農作物は収穫皆無となり、穀類は高騰し、松山藩内の餓死者数は、享保17年11月29日の幕府への届け出によると、3,589人に達した。伊... 続きを読む
元文4年(1739)6月、干ばつにより重信川の流水が減少したため、菖蒲堰の上堰側は堰を二重にして慣行の禁止事項である土砂でせき止めた。このため、下堰側はこの措置の不当を訴えて、北方村庄屋に抗議をした。しかし、上堰側も用水量が不足していたため、話し合いは進まず、... 続きを読む
元文4年(1739)6月、干ばつにより重信川の流水が減少したため、菖蒲堰の上堰側は堰を二重にして慣行の禁止事項である土砂でせき止めた。このため、下堰側はこの措置の不当を訴えて、北方村庄屋に抗議をした。しかし、上堰側も用水量が不足していたため、話し合いは進まず、... 続きを読む
宝暦3年(1753)、洪水があり、重信川の瀬筋を南側に移動させた。このため、三か村井堰の関切場を下林側の伽藍口門樋に接近させて設置したところ、水論が発生した。伽藍口門樋に接近されると、三か村井堰からの漏水と湧水を期待することができないためである。この年は郡役人... 続きを読む