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条件:愛媛県 東予
慶長19年(1614)10月5日、大震災により、海上荒れて大波打ち寄り、御津野名の田畑と人家が流失し、死者が多く出た。その荒れた土地を、領主加藤嘉明の命により、奉行徳本三郎兵衛が開墾した。 この土地は、寛永2年(1625)3月18日、再度震災を受けたが、その後... 続きを読む
文禄5年(慶長元年)(1596)閏7月9日、中央構造線を震源とする地震。慶長伊予地震。東予では、「密林山徳蔵寺由来記」によると、広江村の徳蔵寺があった場所が地震により地盤沈下して低湿地になったため、土地の高燥な現在地に集団移転と記されている。また、「小松邑史」... 続きを読む
慶長元年(1596)7月9日、大地震が発生し、広江村は地盤沈下のために西南にある高燥な現在地に集団移住した。(「密林山徳蔵寺由来記」による)また、鶴岡八幡宮は、地震のため神殿、宝蔵、神器、記録などが地中に没したため、現在地に遷座して社殿を復旧した。(「多賀村郷... 続きを読む
文禄5年(1596)7月9日、震災により、鶴岡八幡宮の神殿、宝物殿、神器、記録など大半が地中に没した。このため、もともとあった北条鳥縄地区から現在地に遷座して社殿が復旧された。 続きを読む
文禄5年(1596)7月、M7.0の大地震があった。広江村の徳蔵寺があった場所は地震のため地盤地下して低湿地になったため、土地の高燥な現在地に集団移転した。また、北条にある鶴岡八幡神社でも、震災のため宮殿、宝蔵、神器、記録などが地中に陥没したため、現在地に遷座... 続きを読む
文禄5年(1596)7月、M7.0の大地震があった。広江村の「密林山徳蔵寺由来記」によると、徳蔵寺があった場所は地震のため地盤地下して低湿地になったため、土地の高燥な現在地に集団移転したことを伝えている。また、「多賀村郷土誌」の鶴岡八幡神社の項でも、震災のため... 続きを読む
文禄5年(1596)、大地震が発生した。京畿、四国、九州の被害が甚大であり、伏見城では573人が死亡、境の町では600人が死亡したと伝えられている。壬生川村には被害の記録が残っていない。 続きを読む
文禄4年(1595)7月、地震のため、周桑郡北条村字五反地にあった鶴岡八幡神社の社殿が悉く陥没した。このため、村人は今の地(壬生川町)に再建した。(「伊予温故録(鶴岡八幡神社記録)」による) (註)一説に文禄4年4月とするものもあるが、大日本地震史料には同年4... 続きを読む