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392件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 東予

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天正元年の洪水

天正元年(1573)9月17日、洪水があり、柳森神社は籠田郷の旧社地が崩壊して二神の像が漂流して、今の社地の柳木の上に懸かった。(「伊予温故録(柳森神社社記)」による) 続きを読む

天正14年の地震

天正14年(1587)、M7.9の大地震があった。文禄4年(1595)の「周敷郡吉田郷弘江村坪付帳」によると、塩入地6反、日焼地1町2反、荒地10町2反など全耕地の30%が収穫なしと記されているが、この地震の後遺症ではないかと推察される。 続きを読む

文禄4年の地震

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文禄4年(1595)7月、地震のため、周桑郡北条村字五反地にあった鶴岡八幡神社の社殿が悉く陥没した。このため、村人は今の地(壬生川町)に再建した。(「伊予温故録(鶴岡八幡神社記録)」による) (註)一説に文禄4年4月とするものもあるが、大日本地震史料には同年4... 続きを読む

文禄4年の地震

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文禄4年(1595)7月、壬生川の鶴岡八幡の社殿がことごとく陥没す。真偽不明。 続きを読む

文禄4年の地震

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文禄4年(1595)7月、震災のため、周桑郡北条村(現壬生川町)にあった鶴岡八幡神社の社殿が悉く陥没した。(「伊予温故録(鶴岡八幡神社記録)」による) 続きを読む

文禄5年の地震

文禄5年(1596)、大地震が発生した。京畿、四国、九州の被害が甚大であり、伏見城では573人が死亡、境の町では600人が死亡したと伝えられている。壬生川村には被害の記録が残っていない。 続きを読む

慶長元年の地震

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文禄5年(1596)7月、M7.0の大地震があった。広江村の「密林山徳蔵寺由来記」によると、徳蔵寺があった場所は地震のため地盤地下して低湿地になったため、土地の高燥な現在地に集団移転したことを伝えている。また、「多賀村郷土誌」の鶴岡八幡神社の項でも、震災のため... 続きを読む

慶長元年の地震

文禄5年(1596)7月、M7.0の大地震があった。広江村の徳蔵寺があった場所は地震のため地盤地下して低湿地になったため、土地の高燥な現在地に集団移転した。また、北条にある鶴岡八幡神社でも、震災のため宮殿、宝蔵、神器、記録などが地中に陥没したため、現在地に遷座... 続きを読む

慶長元年の地震

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慶長元年(1596)7月9日、大地震が発生し、広江村は地盤沈下のために西南にある高燥な現在地に集団移住した。(「密林山徳蔵寺由来記」による)また、鶴岡八幡宮は、地震のため神殿、宝蔵、神器、記録などが地中に没したため、現在地に遷座して社殿を復旧した。(「多賀村郷... 続きを読む

文禄5年の地震

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文禄5年(1596)7月9日、震災により、鶴岡八幡宮の神殿、宝物殿、神器、記録など大半が地中に没した。このため、もともとあった北条鳥縄地区から現在地に遷座して社殿が復旧された。 続きを読む

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