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87件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 新居浜市

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嘉永元年の風雨

嘉永元年(1848)6月13日、風雨。8月8日、暴風にて沢津海岸潰決す。(「新居郡誌」による) 続きを読む

元禄10年の水論

元禄10年(1697)、川東組と川西の村で水論。(近藤晴清「愛媛県国領川流域における水利の歴史地理学研究」等による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

元禄8年の風雨

元禄8年(1696)7月21日深夜から早朝にかけて、別子銅山は大風雨に襲われ、死者6人、手手物・道路・橋の倒壊・破損により、2,200余両の被害を出した。 続きを読む

元禄8年の風雨

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元禄8年(1696)7月21日深夜から翌朝にかけて、別子銅山は大風雨に襲われ、死者6人、建物・道・橋の倒壊被損2,200両余という大被害となった。 続きを読む

元禄7年の火災

元禄7年(1694)閏5月、別子銅山大火、死傷多し。(「新居郡誌」による) 続きを読む

元禄7年の大火

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元禄7年(1694)4月25日、別子銅山の沢田ご番所あたりの焼鉱窯から飛んだ火が枯れ木に燃え移り、次第に火勢を増して、住家、事務所、その他の建物をなめつくし、火は別子の山をおおった。人々は逃げ場を失い、猛火の中132人が焼死した。住友家は、亡くなった人々の霊を... 続きを読む

元禄7年の火災

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元禄7年(1694)4月25日午前10時頃、別子銅山の竃場から失火し、烈風に煽られ火の手は八方に燃え広がった。火は午後3時頃まで燃え続けて全山の施設のほとんどを焼失し、銅山役人をはじめ合わせて死者132人を出すという大惨事となった。この火災時には、隣の立川銅山... 続きを読む

元禄7年の別子銅山の火災

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元禄7年(1694)4月25日午前10時頃、別子銅山の竈場から出火し、烈風にあおられて燃え広がり、午後3時頃まで燃え続けた。全山の施設のほとんどを焼失し、死者142人を出す大惨事となった。住友では犠牲者を悼んで山中に蘭塔場を設けた。 続きを読む

元禄7年の大火

元禄7年(1694)、別子銅山で大火、死者多数。(「災害の歴史」、「愛媛社会経済年表」、その他郷土資料による) 続きを読む

元禄6年の風雨

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元禄6年(1693)6月21日、大風雨により、別子銅山では蔵13箇所、坑夫小屋200余軒が吹き潰されるという被害を受けた。 続きを読む

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