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27件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 新居浜市(別子山村)

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明治32年の水害

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明治32年(1899)8月28日、土佐湾に上陸した台風は石鎚山脈を越えて東予地区を襲い、午後6時頃には暴風雨となった。最高潮に達した8時半頃には、全山が山津波の状態となり、一緒に風呂屋谷、見花谷及び小足谷の従業員住宅をはじめ、製錬所、収銅所、倉庫などが一大音響... 続きを読む

明治32年の台風

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明治32年(1899)8月28日、東予地方に暴風雨が襲来し、千余人の犠牲者を出した。この記録には、当時神戸新聞の記者であった江見忠功が現地から報告した「別子銅山変災視察録」第1報~第6報が記されている。 続きを読む

明治32年の台風

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明治32年(1899)8月28日、東予地方に暴風雨が襲来し、千余人の犠牲者を出した。この記録には、当時神戸新聞の記者であった江見忠功が現地から報告した「別子銅山変災視察録」第7報~第10報が記されている。 続きを読む

明治32年の台風

明治32年(1899)8月28日、暴風雨により、別子銅山水害が起こり、死者512人、家屋の流失・倒壊186戸。その他東予で死者151人。 続きを読む

明治32年の水害

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明治32年(1899)の別子銅山の大水害に際して、医師高原清二郎氏が胸の上まで水に浸かりながら病院に行ったところ、暗かったため、包帯の古屑の上に石炭油をふりかけて入口で火を付けて燃やしたところ、辺りが明るくなり、住民は非常に力を得た。(「新居浜史談」による)明... 続きを読む

明治32年の別子銅山水害

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明治32年(1899)、別子山村の見花谷等で大水害が発生し、多数の犠牲者が出た。医師高原清二郎氏が胸の上まで水に浸かりながら病院に行ったところ、暗かったため、包帯の古屑の上に石炭油をふりかけて入口で火を付けて燃やしたところ、辺りが明るくなり、住民は非常に力を得... 続きを読む

安政元年の土砂災害

安政元年(1854)11月5日、南海地震により、別子鉱山の坑内で大湧水となり、採鉱に支障をきたした。(「住友別子鉱山史上巻」による) 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日、南海地震(M8.4)により、新居浜市の別子山村では地震直後から坑内で湧水があり、しばらく採鉱できなかった。 続きを読む

元禄8年の風雨

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元禄8年(1696)7月21日深夜から翌朝にかけて、別子銅山は大風雨に襲われ、死者6人、建物・道・橋の倒壊被損2,200両余という大被害となった。 続きを読む

元禄8年の風雨

元禄8年(1696)7月21日深夜から早朝にかけて、別子銅山は大風雨に襲われ、死者6人、手手物・道路・橋の倒壊・破損により、2,200余両の被害を出した。 続きを読む

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