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条件: 徳島市

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弘化2年10月の火災

弘化2年(1845)10月5日、西新町で大火。(「阿淡年表秘録」「阿波志」「かどや日記」などによる) 続きを読む

弘化元年の火災

弘化元年(1844)10月5日晩4ツ前(午後10時頃)、西船場付近より出火し、6日7ツ時(午前4時頃)に鎮火した。この時には御家中数百人が駆けつけ、防火に当たった。(「元木氏記録」による)/この記録では、文政7年(1824)年の新町での火事に懲りた人々が、大火... 続きを読む

天保14年の火災

天保14年(1843)11月5日朝4ツ時(午前10時頃)、佐古町11丁目椎宮馬出シ場付近から出火し、およそ1丁ばかり焼きわたる。(「阿陽市街実記」による) 続きを読む

天保14年の洪水

天保14年(1843)7月7日朝より翌朝まで大雨が降り、勝浦郡では洪水により流家何百軒か数知れず、死人は田野浦村だけでも50人ほどもいたようである。徳島富田の家中でも座上5、6尺に達し、死人が出たようである。 続きを読む

天保14年の七夕水

天保14年(1843)7月1日以来の大雨によって、7日には吉野川をはじめ各河川が氾濫した。これを卯の七夕水という。特に勝浦川流域の被害は大きかったようである。宮井村庄屋・平岡邦平の記録によると、農家54県が流失し、地高4,300石が被害を受け、そのうち1,45... 続きを読む

天保9年の山火事

天保9年(1838)2月13日正午頃、徳島の眉山で山火事が発生し、富田八幡宮上より瑞岩寺上まで山が焼け、7ツ時(午後4時頃)までに鎮火した。(「阿陽市街実記」による) 続きを読む

天保8年の干ばつ

天保8年(1837)夏、干ばつ打ち続くこと甚だしく、田圃に濯ぐ水に窮し、土瓶に井戸水を入れて稲の根元に給せりと、ために作物尽く枯死し、収穫皆無の状態となり、本村民の多くはオボツコを食し、鈴江渡付近の砂子に薄貝を漁り、かろうじて飢餓を免れたりという。(「川内村史... 続きを読む

天保8年の干ばつ

天保8年(1837)夏、干ばつ打ち続くこと甚だしく、田圃に濯ぐ水に窮し、土瓶に井戸水を入れて稲の根元に給せりと、ために作物尽く枯死し、収穫皆無の状態となり、本村民の多くはオボツコを食し、鈴江渡付近の砂子に薄貝を漁り、かろうじて飢餓を免れたりという。(「川内村史... 続きを読む

天保8年の干ばつ

天保8年(1837)夏、干ばつが続いたため、土瓶に井戸水を入れて稲の根元に給した。 続きを読む

天保8年の干ばつ

天保8年(1837)夏、干ばつ打ち続くこと甚だしく、田圃に濯ぐ水に窮し、土瓶に井戸水を入れて稲の根元に給せりと、ために作物尽く枯死し、収穫皆無の状態となり、本村民の多くはオボツコを食し、鈴江渡付近の砂子に薄貝を漁り、かろうじて飢餓を免れたりという。(「川内村史... 続きを読む

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