316件のアーカイブスが見つかりました。
条件: 徳島市
明治43年(1910)9月7日~9日、吉野川の増水1丈7尺7寸となった。このため、水稲2割、陸稲5割、大豆5割、粟5割、黍5割、甘藷7割の被害を受けた。 続きを読む
明治44年(1911)8月16日、吉野川の増水2丈1尺となった。このため、浸水被害面積は田30町、畑298町、桑園54町など合計562町に及んだ。また、河川堤防の決壊7箇所、住家の流失15戸、崩壊8戸、半壊93戸、破損120戸などの被害を出した。 続きを読む
明治44年(1911)9月22日、出水が角瀬渡で1丈5尺5寸に達し、堤防破損3箇所、住家浸水5戸、田の浸水150町、畑の浸水233町などの被害が出た。 続きを読む
大正元年(1912)9月16日から雨天が続き、22日夕方から暴風雨となり、園瀬川の堤防が決壊して大洪水となった。馬越下の民家では屋根まで水が来て、中にいた人は屋根を破って避難したという。 続きを読む
大正元年(1912)9月21日午後3時頃から降り出した雨は、22日午前6時頃には激しくなり、川々は増水を始めた。23日正午には吉野川の増水24尺2寸となり、慶応2年の寅年の大水よりも3尺以上上回った。堤防上に長さ20間に及ぶ決壊があり、応神村の損害は甚だしく、... 続きを読む
大正元年(1912)9月23日~25日、大暴風雨により未曾有の大水害が発生した。被害は、家屋の流失24戸、全壊14戸、半壊145戸、負傷1人、牛馬の流亡7頭に及んだ。また、村内の交通は自由を失い、米麦その他家財への損害を受け、絶食数日に及ぶ者もあった。このため... 続きを読む
大正元年(1912)9月23日夕方から、本格的な台風となり、北井上村では村民は屋内に閉じこもった。夜半頃になると、濁水が押し寄せてきて、床下から床上に浸水し、畳、家財道具、衣類、食料品は全部水浸しになった。家族は不安な一夜を二階裏であかした。当時の人はこの水を... 続きを読む
大正2年(1913)1月4日、県庁前広場で出初式が挙行され、引き続き寺島川対岸の中洲町で消火演習が実施された。その時、演習用の仮設小屋の屋上に教護演習中の消防手がいたのに、誤った振鈴を受けた点火係が点火したため、石油に浸されていた仮設小屋は瞬く間に火の海となり... 続きを読む