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条件: 徳島市
明治25年(1892)大雨についで津波が押し寄せ、2回にわたり堤防を越して、高潮が渭東一帯を泥海と化した。2回目の来襲の時は、床上に浸水し、座敷においてあったタンスの引き出しの2段目まで水浸しになった。 続きを読む
明治25年(1892)7月、潮位が自然に高まり、次第に増水し、八万村内東部一帯に浸水し、2日間増水を続けた。北地方面では堤上数尺の増水となり、低地家屋は軒まで浸水し、上荷の舟は堤を越えて田んぼに流れた。潮先は市原付近まで延び、高地及び大坪北西を除いて八万村の大... 続きを読む
明治25年(1892)7月、潮位が自然に高まり、北地方面では堤上数尺の増水となり、低地家屋は軒まで浸水した。上荷の舟は、堤を越えて田んぼに流れた。潮先は市原付近に迫ったため、八万の大部分は湖水と化した。水は3日目から減水した。土用波と称された。 続きを読む
明治25年(1892)7月の暴風雨により、板野郡の海岸線では高潮の被害が大きかった。川内、松茂、大津、撫養、里浦で被害が出ており、松茂の豊岡新田の潮除け堤防が決壊、川内村の西部の榎瀬・中島・鈴江付近では一時的な浸水にとどまったが、これより東の村々では仮潮止め工... 続きを読む
明治25年(1892)7月23日午前5時頃、海嘯が襲来し、護岸の堤防を越えた。西部の榎瀬・中島両村や鈴江、別宮では一時の浸水にとどまったが、東に向かうほど水溜まりの期間は長期化した。各所で仮潮止工事を行ったため次第に減水したが、平石村の東部ではおよそ7日滞水し... 続きを読む
明治25年(1892)7月23日御前1時頃より、暴風と大雨が激しくなり、園瀬川及び鮎喰川の流域では堤防決壊等により、一宮村では居宅潰倒3戸、半倒3戸、下町村では居宅潰倒2戸、上八万村では居宅潰倒23戸、半倒4戸等の被害があった。 続きを読む
明治26年(1893)2月27日、南方海上を東進した低気圧のため、徳島でも朝から19時まで雪が降り、33cm積もった。これは明治40年の42cmにつぐ第2位の記録である。徳島の日平均気温は0.1度だった。 続きを読む