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315件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 徳島市

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安政4年の山崩れ

安政4年(1857)、20日近く雨天が続いた後、7月1日に大雨が降り、所谷の南上の山が崩れて山潮が吹いた。戸櫃の高さ(約1m)まで濁流が来たことを示す痕跡が民家に残されていた。 続きを読む

安政4年の暴風

安政4年(1857)6月30日夜9ツ時より雨降り、翌朝には雨が上がったが、朝4ツ時過ぎにより風が強まり、瓦が吹き飛ばされるなどした。潰家は大松45軒、中島38軒、榎瀬35軒、加賀須野34軒、竹須賀10軒、平石58軒、沖島36軒、鈴江10軒、宮島浦22軒、鶴島2... 続きを読む

安政3年の洪水

安政3年(1856)8月1日、大洪水、川内村小松新田破壊。(「徳島県災異誌」等による) 続きを読む

安政元年の地震による火災

安政元年(1854)11月5日申時(午後4時頃)の地震が徳島城下で最も大きな被害をもたらしたのは火災であった。地震の発生が冬であり、本震が最も火を使う夕方(申刻)であったため、地震で倒壊した家屋から出火した。さらに多くの人が津波等の被害を恐れすぐに近隣の山へ逃... 続きを読む

安政元年の南海地震

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安政元年(1854)11月5日、南海地震が発生した。この冊子には、松茂町の春日神社「敬渝碑」、徳島市の蛭子神社「百度石」、佐那河内村の長願寺「扁額」、小松島市の豊浦神社「石碑」、阿南市椿の八幡神社「常夜灯台石」、那賀町谷内の妙法寺「庚申塔」、美波町志和岐の「震... 続きを読む

安政元年の地震

嘉永7年(1854)11月4日朝辰の下刻に地震が起こり、所々で建物が傷んだという。その夜2、3度小さな地震があり、翌5日申刻に天地が覆るような地震が起こった。寺の仁王門はギイギイと揺れ、釣鐘も自然に棒を撞いて早鐘のように鳴った。(中財国蔵氏所蔵同家祖近藤基之助... 続きを読む

安政元年の地震

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安政元年(1854)11月4日午前9時頃、遠州灘を震源とするM8.4の大地震が起こり、さらに32時間後の5日午後4時頃に同規模の地震が紀州沖で発生した。阿波でも、県東南海岸一帯で地震と津波によって、家屋の倒壊・流失、死者が多く、被害は甚大であったと伝えられてい... 続きを読む

安政元年の地震

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嘉永7年(1854)11月4日午前9時頃、遠州灘を震源とするM8.4の大地震が起こった。さらに32時間後の5日午後4時頃、同規模の地震が紀州沖で発生した。阿波でも、地震とそれに伴う津波によって甚大な被害が起こった。海部郡由岐浦では205戸のうち199戸流失、死... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日午後5時頃、地震が起こったため、地面は裂け、水が噴出し、倒家も多かった。その上、津波が来るとのことで、村民は皆狼狽した。藪中に避難して野宿する者もあれば、板東方面まで落ち延びた者も少なくなかった。しかし、津波は陸地まで達せず、川中... 続きを読む

安政元年の大火

安政元年(1854)11月4日、5日、徳島市街で大火、稲田九郎兵衛、加島出雲両屋敷全焼、家中・町家は類焼し、残る家でも無事なものはなかったという。(「勝浦郡誌」による) 続きを読む

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