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条件:徳島県 小松島市
明治3年(1870)9月6日から台風のため風雨が強く、11日に勝浦川の堤防が決壊した。元根井など海岸部は、高潮の被害を受け、内陸部の外開・北開から中田山路端まで潮が入った。横須のお玉井利も被害も受け、日開野、芝生、田野、金磯の各新田にも潮が入り、稲作に大きな被... 続きを読む
慶応2年(1866)8月6日、寅年の大水により、板川(いたご)谷左岸の山が崩壊し、土石流で田が埋まり、牛小屋と牛がつぶされた。堆積土砂の跡は「カワラ」と呼ばれている。昭和63年に行われた寺戸恒夫先生等による現地調査の結果が記載されている。なお、同日に湯谷の中山... 続きを読む
安政元年(1854)11月5日、南海地震が発生した。この冊子には、松茂町の春日神社「敬渝碑」、徳島市の蛭子神社「百度石」、佐那河内村の長願寺「扁額」、小松島市の豊浦神社「石碑」、阿南市椿の八幡神社「常夜灯台石」、那賀町谷内の妙法寺「庚申塔」、美波町志和岐の「震... 続きを読む
地震・津波 徳島県松茂町、徳島市、佐那河内村、小松島市、阿南市、那賀町(相生町)、美波町(由岐町)、牟岐町、海陽町(海南町)、海陽町(海部町)
安政元年(1854)11月4日の朝方と夜に地震が起き、5日夕方大地震が発生した。午後5時半頃から火災が発生したため、近隣の者が総出で消火活動をしていたところ、津波の噂が出て人々が逃げたので、小松島浦の7割方は焼き尽くし、朝方の6時頃に鎮火した。人々は土地の高い... 続きを読む
嘉永7年(1854)11月4日巳時(午前10時頃)地大いに震い、家に居りがたく人々走り出す。家の棟を見れば波のうねりのごとく、ややしばらくして止みぬ。翌5日申時(午後4時頃)また大いに震い急に走り出て驚き騒げり。昨日よりは甚だしく障子、襖等も倒れ、建て置きたる... 続きを読む
安政元年(1854)11月4日から5日夜にかけて大地震があり、徳島城下と勝浦郡小松島浦村で大火事が発生し、県南の沿岸地方では津波の大被害を受けた。小松島、田島、日開野等の住民は津波に備えて、芝山(日峯山)、前山、天神山へ避難した。この時、北町光善寺付近の料理屋... 続きを読む