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14件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 宇和島市(三間町) 渇水

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昭和42年の干ばつ

昭和42年(1967)夏、大干ばつにより、農作物に被害が出た。 続きを読む

文化6年の干ばつ

文化6年(1809)、干ばつにより、吉田藩の損毛は田畑計5,317石に及んだ。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

享和3年の水論

享和3年(1803)、小沢川村と波岡村の間で水論が起こったが、小沢川下井手から波岡一の井手へ5分(半分)宛分水することで一応落着した。しかし、その後も争いは続き、明治18年(1885)の大審院の判決で、ようやく決着した。 続きを読む

享和3年の水論

享和3年(1803)、吉田領小沢川村と波岡村で水論。(「三間町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

明和8年の干ばつ

明和8年(1771)、干ばつにより、吉田藩の損毛は田3,213石、畑1,443石、合計4,656石に及んだ。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)、干ばつにより、吉田藩の損毛は田8,222石、畑3,709石、合計11,931石に及んだ。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

明和3年の干ばつ

明和3年(1766)、干ばつにより、吉田藩の損毛は田4,093石、畑2,477石、合計6,570石に及んだ。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

宝暦2年の干ばつ

宝暦2年(1752)、干ばつにより、吉田藩の損毛は田畑計4,283石に及んだ。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

享保9年の干ばつ

享保9年(1724)夏、大干ばつにより、宇和島・吉田両藩の損毛60,200石に及んだ。 続きを読む

享保9年の干ばつ

享保9年(1724)夏、大干ばつにより、宇和島・吉田両藩の損毛60,200石に及んだ。 続きを読む

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