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条件:愛媛県 大洲市

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昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月24日、大洪水により、大洲盆地は裾野まで見渡す限りの泥海となったという。被害は死傷者131人、流失家屋554戸、全壊家屋396戸、田畑の流失・埋没1,627町、堤防の決壊・破損59箇所などに及んだ。この時、JR橋下流右岸の堤防が決壊し... 続きを読む

昭和18年の地すべり

昭和18年(1943)7月24日、低気圧、不連続線により雨量が580ミリとなり、現河辺村地域では大字山鳥坂・下大成の赤土一帯で約3m地盤降下・幅200m、大字植松・松ノ久保で降下2m・幅80m、同日ノ平で幅80mほどの崩壊、大字宮谷・上川崎で幅50mの崩壊、大... 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月24日、三日三晩降り続いた雨は松山測候所で530ミリ、喜多郡では700余ミリと推定された。大洲・喜多郡内の被害は死者34人、行方不明11人、流失・全壊の住家234戸、流失・全壊の非住家394戸、半壊の住家・非住家345戸、床上浸水5,... 続きを読む

昭和18年の地すべり

昭和18年(1943)7月24日、低気圧、不連続線により雨量が580ミリとなり、現河辺村地域では大字山鳥坂・下大成の赤土一帯で約3m地盤降下・幅200m、大字植松・松ノ久保で降下2m・幅80m、同日ノ平で幅80mほどの崩壊、大字宮谷・上川崎で幅50mの崩壊、大... 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月24日、低気圧による洪水のため、肱川の大洲地点の流量は5,400立米/秒となった(氾濫計算による推計値)。大量の流木により橋や家屋が破壊され、死傷者131人の被害が出た。(「大洲市誌」による) 続きを読む

昭和18年7月の洪水

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昭和18年(1943)7月24日、洪水により、白滝小学校では階下教室に浸水し、奉安殿の浸水も心配されるためご真影を奉還し、重要書類を二階に移した。水位は白滝公民館前で10.456mに上がり、白滝の町並は屋根まで土砂で埋まった。町の人々は西滝寺に避難した。(「白... 続きを読む

昭和18年の台風

昭和18年(1943)7月24日、台風により大洲・喜多郡内では至る所で水害、山津波等に見舞われた。被害は、死者46人、家屋の倒壊678戸、半壊345戸、床上浸水4,719戸、床下浸水2,984戸、耕地の浸水田910町歩、畑64町歩に及び、このほか道路、橋、堤防... 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月24日、肱川で洪水、増水量は8.6m。(「肱川水害史」による) 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月22日~25日、豪雨による大洪水のため、肱川村は甚大な被害を被った。被害は、死者1人、住家の流失1戸、全壊3戸、半壊1戸、床上浸水82戸、床下浸水25戸、非住家の流失3戸、全壊2戸、半壊1戸、床上浸水21戸、床下浸水3戸、田の流失17... 続きを読む

昭和18年の水害

昭和18年(1943)7月21日~24日の4日間に、年間降雨量の約3分の1の雨が降った。山は崩れ、地すべりが起き、川は氾濫して未曾有の被害となった。大洲桝形の水位は8.6mを記録した。当時の写真11枚。水害体験談が掲載されている。 続きを読む

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