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条件:愛媛県 大洲市

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昭和17年の洪水

昭和17年(1942)9月21日、肱川で洪水、増水量は5.91m。(「肱川水害史」による) 続きを読む

昭和17年の洪水

昭和17年(1942)9月21日、肱川で洪水、増水量は5.91m。(昭和46年版「五十崎町誌」による) 続きを読む

昭和17年の洪水

昭和17年(1942)9月21日、肱川で洪水、増水量約5.91m。(肱川水害年表による) 続きを読む

昭和17年の台風

昭和17年(1942)9月21日、台風。 続きを読む

昭和17年の洪水

昭和17年(1942)9月21日、肱川で洪水、増水量5.91m。(県の量水標による) 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)、肱川の洪水により、肱川橋通りでは浸水4尺となり、若宮では濁流により家屋が倒壊した。また、新谷国民学校裏の山や大成地区、米津地区でも山崩れがあり、数人の死者が出た。さらに平野香田地区では濁流により警防団員が殉職した。写真20枚。 続きを読む

昭和18年の水害

昭和18年(1943)、水害のため、滝川が砂利で埋まった。高い場所に避難して肱川を見ると、川の中を家が流れていて、その茅葺きの屋根の上に人が乗って手を振っていた。(体験者の話) 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月、肱川の洪水のため、大洲市本町一帯が水浸しになった。 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月、集中豪雨により、肱川は洪水となった。写真1枚。 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月、旧大洲町肱北地区で肱川の堤防が決壊し、新町・若宮地区に多大な被害を与えるとともに、大洲盆地全域を泥海と化した。現在の大洲市域の被害は死者28人、住家の流失7戸、全壊74戸、半潰103戸、床上浸水3,872子、床下浸水477戸等に及ん... 続きを読む

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