38件のアーカイブスが見つかりました。
条件:愛媛県 大三島
明治38年(1905)10月、大雨により、宮浦村本川とその支流明治川が決壊し、盛口村では井口小学校前の大川も決壊した。いずれも地上5~10mの高さの天井川であるため、瀑布のような勢いで土砂が流れ広がり、田畑や人畜の被害が大で、その額は当時10数万円と伝えられる... 続きを読む
明治38年(1905)7月2日、暴風雨で母子が流され、母は助けられたものの、4歳の娘の死体は翌日干島で漁師に見つけられた。 また、13日にも暴風雨が再来して、落ちた石橋を取り除く作業を手伝っていた人が亡くなった。(「万福寺過去帳」による) 続きを読む
明治18年(1885)5月頃、大洪水が発生し、裏の山が崩れ、4歳の子どもが亡くなった。(「万福寺過去帳」による) なお、この時の宗方・口総・浦戸・野々江各村の被害状況が記されている。(「大三島町役場文書」による) 続きを読む
明治17年(1884)8月25日に暴風雨があり、以下の被害が出た。死者宗方村8人・台村8人、負傷者台村1人、家屋流失宗方村31戸・宮浦村11戸・台村4戸、家屋潰崩宮浦村3戸・台村8戸、家屋破損宮浦村85戸・台村20戸、道路破損宮浦村4箇所(70間)、橋梁破損宮... 続きを読む
明治7年(1874)8月21日、朝五つ時に南よりの暴風があり、大木を折り、浦戸村や瀬戸村の石鳥居や家屋を倒すなどの被害を受けた。海上では船が損壊し、夥しい人が亡くなった。(「藤井此蔵一生記」による) 続きを読む