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38件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 大三島

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宝永4年の風雨

宝永4年(1707)、大風雨で農作物の作柄に損害があったため、御公儀(松山藩)から、上島中(越智島17ヶ村)が米500俵、麦500俵の借り米をしている。 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、「大地震壱剋之間十日酉剋迄七ヶ之間」にわたり揺れた。(「越智嶋日記」による) この時の地震は、道後温泉の湧出を一時止めるほどのものであった。(「垂憲録拾遺」による) 続きを読む

宝永4年の風雨

宝永4年(1707)10月4日、この辺り一帯に大地震があった上に、大風雨があり、稲作に大害を与え、米の収穫がなくなったので、藩から御助米をもらった。 続きを読む

正徳2年の風雨

正徳2年(1712)、大風雨で越智島の作柄に損害があったため、郡奉行らが来島し、見分の上、岡村・大下村ほか大三島の9ヶ村に対し、米762俵余を給付している。(越智嶋旧記」による) 続きを読む

享保2年の洪水

享保2年(1717)5月、大雨のため、洪水により島内各村の川がほとんど決壊した。各村では川成を仰せつけられて復旧した。 続きを読む

享保2年の洪水

享保2年(1717)5月2日、大雨洪水により生名村、岩城村、井ノ口村、盛村、肥海村、宮浦村の田畑が荒れ、御公儀(松山藩)役人の見分を受けている。(「越智嶋旧記」による) 続きを読む

享保3年の干ばつ

享保3年(1718)、日照り凶作のため、御公儀(松山藩)から550俵の給付があった。(「越智嶋旧記」による) 続きを読む

享保7年の洪水

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享保7年(1722)、大洪水のため、大山祇神社境内では土砂が流入して諸木が枯死に瀕したので、水抜き小川や井戸を掘って排水した。一般の川では瀬掘りという河床掘りの作業が行われた。 続きを読む

享保7年の洪水

享保7年(1722)、洪水のため三嶋大明神神馬境内の木々が枯れ、人夫を雇って水抜き、小川・井手の堀方工事をした。この時、延べ人夫622人に対し、1人当たり夫食米7合5勺が御公儀(松山藩)から給付されている。(「越智嶋旧記」による) 続きを読む

享保9年の干ばつ

享保9年(1724)、稀に見る大干ばつで、島内だけで11町歩の水田が植え付けを放棄した。 続きを読む

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