25件のアーカイブスが見つかりました。
条件:愛媛県 大三島 風水害
明治7年(1874)8月21日、朝五つ時に南よりの暴風があり、大木を折り、浦戸村や瀬戸村の石鳥居や家屋を倒すなどの被害を受けた。海上では船が損壊し、夥しい人が亡くなった。(「藤井此蔵一生記」による) 続きを読む
明治17年(1884)8月25日に暴風雨があり、以下の被害が出た。死者宗方村8人・台村8人、負傷者台村1人、家屋流失宗方村31戸・宮浦村11戸・台村4戸、家屋潰崩宮浦村3戸・台村8戸、家屋破損宮浦村85戸・台村20戸、道路破損宮浦村4箇所(70間)、橋梁破損宮... 続きを読む
明治38年(1905)7月2日、暴風雨で母子が流され、母は助けられたものの、4歳の娘の死体は翌日干島で漁師に見つけられた。 また、13日にも暴風雨が再来して、落ちた石橋を取り除く作業を手伝っていた人が亡くなった。(「万福寺過去帳」による) 続きを読む
明治38年(1905)10月、大雨により、宮浦村本川とその支流明治川が決壊し、盛口村では井口小学校前の大川も決壊した。いずれも地上5~10mの高さの天井川であるため、瀑布のような勢いで土砂が流れ広がり、田畑や人畜の被害が大で、その額は当時10数万円と伝えられる... 続きを読む
昭和36年(1961)9月16日、第二室戸台風による被害は、特に肥海の古江地区が大きく、海岸線堤防が10箇所にわたって決壊し、唯一の幹線道路である大三島環状線が水浸しとなって交通不能の状態が続いた。また、耕地約6町歩が潮害を受けた。(「広報大三島」による) 続きを読む
昭和42年(1967)7月9日、集中豪雨があり、大きな被害を受けた。雨量は127ミリ(宮浦中学校調べ)で、宮浦明治川が午後5時30分に決壊し、新地地区に床上浸水30戸、床下浸水210戸の被害を出したのをはじめ、各集落の河川・道路などに被害が続出し、臨時休校した... 続きを読む