120件のアーカイブスが見つかりました。
条件:高知県 土佐清水市
宝永4年(1707)10月4日未の上刻(午後2時頃)、大地震が発生した。世に亥の大変という。地震により土佐国中の官舎、民屋が悉く転倒した。また、山間部では岩石のために死傷する者も若干あった。未の下刻から寅の刻(4時頃)まで津波が11度襲来し、海辺の在家は一所と... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日午の上刻、大地震が起こり、間もなく津波が来襲した。沿岸の低地の建物はほとんど全てが流亡し、人畜の死傷が多数に及び、土佐全州では家屋の流失11,095軒、死者1,844人の被害となった。下川口村の被害状況は不明であるが、例えば下川口... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日、大地震が起こった。世に亥の大変という。下の加江にはこの地震に関するいくつかの伝承が残されている。布の西光寺の裏に「つるべ」という所があり、この時の大津波で井戸の釣瓶が打ち上げられたためであるという。また、久百々川の中ほどに漁船が... 続きを読む
宝永4年(1707)の地震により、足摺岬周辺は沈降したことが示されている。この報告では、足摺岬について、史料及び隆起生物遺骸の調査を行い、1707年宝永地震、1854年安政南海地震、1946年昭和南海地震の3つの地震における地殻変動が検討されている。 続きを読む
寛文6年(1666)7月4日、11日、15日の洪水により、中村で田畑5万石の水害を被り、溺死37人、牛馬の溺死579匹、民屋流失2,037軒、船流失17隻。(「徳川実紀」による) 続きを読む
天武天皇13年(684)10月14日、南海道沖の大地震により、東海道、四国、九州一帯は大被害を受けた。余に白鳳の大地震という。日本書紀によると、「人民六畜多く死傷し、伊予の温泉没して出でず、土佐国田苑50余万頃(1,157町歩)没して海となる」と記されている。... 続きを読む
白鳳13年(684)、大地震が起こった。下の加江にはこの地震に関するいくつかの口碑が残されている。小方の藤が谷の上にコガントウという山があり、津波で醸造用の大桶(こが)が打ち上げられたと伝え、それでゴガン峠という。また、今明に越える坂を稲ん峠(とう)というが、... 続きを読む