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120件のアーカイブスが見つかりました。

条件:高知県 土佐清水市

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弘化3年の暴風

弘化3年(1846)7月9日朝から暴風が起こり、終日吹き荒れた。このため、村内の家屋は大半が倒れ、特に下川口浦ではほとんど全部倒壊した。古老によると、城山と横吹坂の分水点には巨松が数十本立ち並んでいたが、根元から倒れたり、折れたりしたという。 続きを読む

弘化3年の台風

弘化3年(1846)7月7日、暴風雨により、渭南地方で被害が多かった。 続きを読む

天保7年の大火

天保7年(1836)10月29日、下ノ加江で大火。(「高知県歴史年表」による) 続きを読む

天保7年の大火

天保7年(1836)10月29日、下ノ加江で大火、家117軒焼失。(「高知県歴史年表」、「御家年代略記」による) 続きを読む

文政5年の洪水

文政5年(1822)6月3日~4日、大雨により西部で大洪水となり、川々堤及び田地等が大破損。(「御家年代略記」による) 続きを読む

文化12年の風雨

文化12年(1815)7月6日~8日、風雨洪水により土佐国中の被害夥しく、死者83人、流出家屋181軒、損害数万石。(「御家年代略記」による) 続きを読む

文化2年の洪水

文化2年(1805)6月4日、洪水により川筋破損埋もれ上がり、亡所と同様になった。このため、佐井三右衛門という片粕の郷士がその職を辞するに当たり、同僚がその持続を嘆願した書面が残されている。 続きを読む

文化2年の洪水

文化2年(1805)6月4日、洪水により領地で損田が過半となったため、下川口村では郷士が辞職願を出している。下川口村史には「不意の洪水に川筋破損埋れ上り亡所同様に相成り、領地過半損田仕り職分相立難く是非に及ばず拝辞願い事候」と記されている。 続きを読む

文化2年の洪水

文化2年(1805)6月4日、洪水により川筋破損埋もれ上がり、亡所と同様になった。(「下川口村誌」による) 続きを読む

享和2年の風雨

享和2年(1802)7月6日~8日の風雨洪水により、国中で損害大。東部では死者82人、損田735町歩、堤切れ76,090余間、神社・人家・番所の流出169軒、牛馬流死55匹、幡多郡では死者1人、損田2,934石、堤切れ22,050間余、流失家12軒。(「日本災... 続きを読む

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