123件のアーカイブスが見つかりました。
条件:高知県 土佐市
安政4年(1857)7月22日、風水害。「真覚寺日記」には「七ツ半頃より暮合まで大風雨、波荒れ、潮甚だ高く、大変(安政地震寅の大変)以来の大潮なり。21日夜雨止まず少々出水なりという。22日(高知より帰路)西畑川原にて大風雨に遭い積置し藁の陰にて雨を凌ぐ。又高... 続きを読む
安政4年(1857)7月1日、風雨。真覚寺日記には「波大いに高し。五ツ半(9時)頃より大風雨九ツ(12時)前に至り雨止み風穏になる。作物少々宛いたむ。梨15、6程庭木に有之処けふの風に残らず落ちる」と記されている。 続きを読む
安政2年(1855)7月14日、大風雨、洪水、汐高越堤所々破損。(「御家略記」による)三災録には「14日より風雨となる。潮高く大震の日より2尺高く平和の汐より都合5尺4、5寸高りしという」と記されている。真覚寺日記には「風吹き波高し、四ツ(10時)頃より大時化... 続きを読む
安政元年(1854)11月5日、地震津波が来襲した。「真覚寺日記」には被害の様子が詳細に書かれている。午後5時頃未曾有の大地震が起こり、人々は狼狽し、子どもは叫ぶ。間もなく山のような津波が来て、宇佐、福島一面の海となる。津波はこの夜8、9回来たが、1番波よりも... 続きを読む
嘉永7年(1854)11月5日、南海地震が起こり、津波被害が発生した。近年、津波防災施設が整備されてきたが、防災施設の形態は過去の南海地震時と比べて変化しており、これらの施設が次の南海地震津波による人的被害に及ぼす影響を把握しておく必要がある。この研究では、土... 続きを読む
安政元年(1854)、南海地震津波により、土佐市宇佐町では家屋がほとんど流失し、70余人の死者を出した。この論文では、宇佐町を対象として、安政級のM8.4の津波を想定した現況港湾施設の安全性について、数値計算により検討が行われている。 続きを読む
安政元年(1854)11月5日午後5時頃、大地震が起こった。8、9度の大津波に見舞われた宇佐町では、死者70余人、残った家はわずか60、70軒であった。宇佐には「安政津波の碑」が建立されており、「この時山を目当てに逃れしものは皆命を助かる。船に乗り難を遁れとせ... 続きを読む
嘉永7年(1854)11月5日、南海地震が起こり、津波被害が発生した。近年、津波防災施設が整備されてきたが、防災施設の形態は過去の南海地震時と比べて変化しており、これらの施設が次の南海地震津波による人的被害に及ぼす影響を把握しておく必要がある。この研究では、土... 続きを読む