179件のアーカイブスが見つかりました。
条件:高知県 四万十町
明治32年(1899)8月29日午後3時頃より雨降り、雷とどろき鳴らし、午後5時30分より大雨降り、6時30分頃風がますます烈し、新築の家でも瓦7、800枚が吹き飛ばされ、前の平屋は倒れて庭の柿の木にもたれて止まった。当時、中村では倒家60戸位、上川口で3戸、... 続きを読む
明治32年(1899)8月28日、台風により、土佐西部では住家など多くの損害があった。この台風はしだいに東部に移動し、高知城下でも天守閣のシャチホコ瓦が飛び、測候所の風力計も破損したという。城下の全壊戸数は250戸、死者は約100人に達したという。 秋雨も加わ... 続きを読む
明治32年(1899)7月8日、台風が鹿児島に上陸した。7日から9日にかけて四万十川流域、仁淀川にかけて900ミリに達する雨量となり、戸波村(現土佐市)では死者19人を出し、中村町では109戸を除いて全戸が浸水したと伝わられている。 続きを読む
明治29年(1896)8月18日午後5時頃、台風が土佐清水に上陸し、その後鳥取地方から日本海に抜けた。窪川では16日~3日間で600ミリの雨量となり、特に県西部の被害が甚大であった。 続きを読む
明治27年(1894)9月11日、東シナ海を北上した台風は宮崎を北上して米子地方に抜けた。雨量は窪川で237ミリ、中村で267ミリ、越知では313ミリに達した。死者4人、全壊2,252戸の被害を出した。 続きを読む
明治27年(1894)、前年と同様に大日照りで、諸作物は日焼けとなり、不作となった。黍作は皆無となった。旧8月11日に大風が吹いて、少々残っていた黍作を吹き折り、大困窮となった。 続きを読む
明治26年(1893)5月中旬より大日照りとなり、黍作は枯れ、畑作は皆無となり、野山の草木まで赤くなり、人々はつるいもを植えることができなかった。旧7月7日、8日に大雨、大雷があったので、皆つるいもを植えたが堀取るものはなかった。 続きを読む