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788件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 吉野川流域 風水害

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万延元年8月の豪雨

万延元年(1860)8月5日から3日間、豪雨により、吉野川の堤防が切れ、川内などでは天井に達する濁水となり、35人が水死し、収穫皆無となった。 続きを読む

文久元年の洪水

文久元年(1861)、洪水。(「徳島年表」による) 続きを読む

文久元年の土佐水

文久元年(1861)、土佐水があった。徳島藩領内で降った雨による洪水を「お国水」と呼んだのに対し、土佐藩領内で降った雨による洪水を「土佐水」と称した。美馬郡半田の堺屋弥蔵が書き残した「年々種蒔植物覚帳」の文久元年(1861)の項には「7月22日朝出水、中須賀東... 続きを読む

文久元年の洪水

文久元年(1861)、洪水。(「徳島年表」による) 続きを読む

文久3年の洪水

文久3年(1863)8月12日、板東地方で大水。(吉野川治水年表による) 続きを読む

慶応元年の洪水

慶応元年(1865)、吉野川で洪水。 続きを読む

慶応元年の洪水

慶応元年(1865)6月、洪水。(「徳島年表」による) 続きを読む

慶応元年の洪水

慶応元年(1865)6月、洪水。(「徳島年表」による) 続きを読む

慶応2年の寅の水

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慶応2年(1866)、「寅の水」と呼ばれる洪水により、死者は2,140人から3万余人に上ったとの記録が残っている。徳島市国府町にある蔵珠院の過去帳にこの水害により死亡した檀家の人々に関する記述が残り、また内壁には「座上二尺」の高さに洪水の痕跡が残されている。こ... 続きを読む

慶応2年の寅の水

慶応2年(1866)、「寅の水」と呼ばれる洪水。「板野町史」には「7月の末より8月の初に至って霖雨蕭々として降り続き所謂厄日、八朔に篠突くばかりの大雨と変じ、2日3日は鵜の毛を散らす細雨と化して遂に前代未聞の大災となれり」とある。また、川内村では榎瀬土佐渡の付... 続きを読む

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