10件のアーカイブスが見つかりました。
条件:徳島県 吉野川流域 土砂災害
昭和29年(1954)9月13日15時頃、台風12号(ジューン台風)が薩摩半島に上陸し、山口県西部を通過、北東進して14日朝日本海に抜けた。吉野川流域では12日夜半頃より風雨が強まり14日朝にかけて猛烈な暴風雨となった。総雨量は上流本山で394ミリ、支川祖谷川... 続きを読む
昭和29年(1954)9月12日~14日、台風12号により山間部に短時間に降った大雨のため、吉野川流域は空前の大洪水となった。吉野川では既往最大の流量を記録し、その後の治水計画検討の契機となった。また、祖谷川流域の御荷鉾構造線付近の破砕帯地域では地すべり、崩壊... 続きを読む
昭和28年(1953)9月23日~25日の3日間に、台風13号(テス台風)により、鮎喰川上流の雨量は600ミリを超えた。大雨のため、低地は氾濫し、板野郡は最大の被害を受け、徳島市、鳴門市がこれに継いだ。また、木頭村誌で記録されているように、森林の被害は室戸台風... 続きを読む
昭和13年(1938)9月5日、台風が海部郡牟岐町東方海岸から徳島市西方を通過した。豪雨型の台風で、各地の雨量は福原780ミリ、下分上山519ミリ、一宇335ミリ、小祖谷444ミリというように剣山山脈の北側の吉野川支流に雨が集中したため、鮎喰川、川田川、貞光川... 続きを読む
大正元年(1912)9月22日~23日、吉野川大洪水。徳島県名東・名西両郡では飯尾川の氾濫が重なり大氾濫。大小渓流の水源地及び流域沿岸の崩壊が多かった。 続きを読む
明治18年(1885)7月1日、台風により、吉野川は大洪水。脇町の曽江谷川の茶園嶽で大崩壊(土量約50万立米)が発生した。これを契機に、曽江谷川では内務省の直轄砂防工事が着手され、明治21年にはデ・レーケの指導により砂防堰堤が築造された。 続きを読む