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57件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 吉田町

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寛文6年の洪水

寛文6年(1666)7月3日~4日、大洪水により、領内の水害米7,500俵余。(「郡鑑のカミケノ覚」による) 続きを読む

寛文7年の大火

寛文7年(1667)2月3日午後3時、出火し、町方九ヶ丁ほとんど焼失、裏町一丁目のうちわずかに残すのみという大火となった。藩は御救米を与えて救済した。 続きを読む

宝永元年の大火

宝永元年(1704)正月10日夜、魚棚一丁目より出火し、裏町一丁目の一部を除いて町屋のほとんどを焼土と化した。藩は宗純の意により、横堀橋詰で町方全部に朝夕粥を施したほか、米372俵や応急資材として大量の木材、竹などを下付した。 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、大地震があり、津浪のため、御家中の中ほどまで潮入したほか、道路が亀裂し、建物が破損した。余震が続いたため、宗純は医王寺に避難滞在したとの記録がある。 続きを読む

享保14年の洪水

享保14年(1729)9月11日、洪水により、溺死者10人、流死午一匹などの被害があった。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

享保19年6月の大雨

享保19年(1734)6月18日、大雨により、田235町、1,480石余、畑238町、608石余の損害を受けた。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

享保19年7月の風雨

享保19年(1734)7月10日、風雨により、田453町、2,852石余、畑575町余、1,035石余の損害があった。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

元文2年の洪水

元文2年(1737)10月12日秋、洪水により、田185町余、畑126町余の損害があった。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

寛延2年の地震

寛延2年(1749)4月10日、地震があり、家屋などが破損し、負傷者の出たことが幕府に報告されている。 続きを読む

宝暦元年の風雨

宝暦元年(1751)6月17日~19日、風雨により、損害田畑合計2,150石余。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

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