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11件のアーカイブスが見つかりました。

条件:高知県 南国市 渇水

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明治27年の干ばつ

明治27年(1894)、この年は60年来の旱害と言われた。新改川下流の植田・久次地区は上流に分水を要請したが。上流も余裕がなく、甫喜峯疏水計画の最中であったが、これを拒否した。このため、植田・久次地区はツイノイ堰を襲い、上流側と乱闘となった。後免署から警官50... 続きを読む

明治26年の干ばつ

明治26年(1893)、干ばつにより、植田地区350石、久次地区80石、須江上改田20余石の田は枯死寸前となった。植田・久次の農民はツイノイ堰(須江本田堰)を破壊しようとしたが、急報により100余名の警官が出動して堰を守り、事なきを得た。この水論を契機に、水争... 続きを読む

明治26年の干ばつ

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明治26年(1893)、水不足となったが、これまでの水争いに疲れていた新改川沿川の村の人たちは、雨乞いをした。この時に持ち上がったのが甫喜ヶ峰(ほきがみね)疏水の計画であった。これは穴内川の水を新改川に引き入れるもので、久礼田や新改の村長などが計画を進め、高知... 続きを読む

明治9年の干ばつ

明治9年(1876)の旱害は、明治6年の2倍3倍にも上った。新改川のコロンボ堰からの分水をめぐり、上流の須江部地区と下流の植田地区の農民が対立した。このため、両地区は県庁に対して配水の措置を誓願した。県は、上流の大釜堰から下流の掘ノ井堰に24時間交代で配水する... 続きを読む

明治9年の干ばつ

明治9年(1876)、日照りが続き、大変な水不足に襲われた。この時、新改川の上下流で水争いが起こった。下流の植田・久次(ひさつぎ)の人々が新改川のコロンボ堰を壊し、コロンボ堰から引水している須江の人たちが修理をするなど、上流と下流の水争いが続けられ、怪我人が出... 続きを読む

明治6年の干ばつ

明治6年(1873)、干天続きで、植田地区の水田が枯死寸前の状態になったため、新改川下流の植田地区の農民は上流の須江部地区の農民に対して、コロンボ堰の分水を迫った。しかし、拒否されたため、両者が数回にわたり、衝突した。御免、山田両警察署は警官十数名を派遣し、鎮... 続きを読む

元禄14年の干ばつ・洪水

元禄14年(1701)、大干ばつ、洪水。 続きを読む

元禄14年の干ばつ

元禄14年(1701)、大干ばつ。田村でも被害が相当あった様子であるが、特筆するだけのまとまった資料がない。 続きを読む

元禄14年の干ばつ

元禄14年(1701)、干ばつ。 続きを読む

寛永3年の干ばつ・洪水

寛永3年(1628)、干ばつ、洪水。 続きを読む

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